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若者論のトレンドCONCEPT

書評

「社会がうまくまわらなくなった今日」の労働観を求めて
 規制が機能していないところにさらに「規制緩和」と「自由化」を持ち込む。資源や手段が枯渇しているところにいっそうの締めつけや精神論を持ち込む。相互に矛盾するような「改革」が、思いつきのようにばらばらと実施される。うまくいかない状況をごまかすために、社会の内外にわかりやすい「原因」や「敵」を無理矢理見つけ出して叩く。そのうっぷんを晴らそうとするようなふるまいが、「強い人」の中にも「弱い人」の中にも広がっている。
 父の賃金→家族→子への教育費→新規労働力というサイクルが崩れた現在、著者は、次のとおり新しい社会モデルを提示する。「組織の一員としての身分を与えられる」メンバーシップ型から、「一定の熟練や専門性に基づいて遂行される、ひとまとまりの行為」としてのジョブ型正社員への移行。将来に向かって生きていくための「中間的就労」などを支援する「アクティベーション」。そして、学校の役割を、「保護者や地域に開かれた学校」、「家族へのケアの窓口」と位置づける。「社会がうまくまわらなくなった」現在、「うまくまわっていた」団塊世代とは異なる労働観を育てる必要がある。それは「社会開放型」の視点を持ったものでなければならない。


書評


社会を結びなおす−教育・仕事・家族の連携へ
岩波ブックレット
本田 由紀 (著)
価格:¥562

 著者は、戦後の転機として、石油危機とバブル崩壊を挙げ、とくに後者については、完全失業者の増大など、日本経済は「底が抜けた状態」になったとする。それ以前の団塊世代などの「戦後日本型循環モデル」においては、仕事・家族・教育という三つの社会領域が結合され、父の賃金→家族→子への教育費→新規労働力というかたちで、社会が文字通り「まわっていた」。
 一九九五年の日経連『新時代の日本的経営』は、多様な形態の非正社員の活用による事業の維持の姿勢に「お墨付き」を与えた。これ以降、「家族を食わす」に足るだけの収入が得られない男性の非婚化が進んだという。また、余裕層の中に、不透明社会に対して過剰なほど教育熱心な親が現れた。四〇人教室に、塾で三学年も先のことを学んでいる者と、家族の困窮や不和に苦しんで学習に向かえない者がおり、この教育格差と、家庭からの期待や要求の強まりの中で、教師は疲弊しているという。
 著者は、次のとおり新しい社会モデルを提示する。「組織の一員としての身分を与えられる」メンバーシップ型から、「一定の熟練や専門性に基づいて遂行される、ひとまとまりの行為」としてのジョブ型正社員への移行。将来に向かって生きていくための「中間的就労」などを支援する「アクティベーション」。そして、学校の役割を、「保護者や地域に開かれた学校」、「家族へのケアの窓口」と位置づける。
 「社会がうまくまわらなくなった」現在、どういう職業意識をもった子どもたちを育てればよいのか。「うまくまわっていた」団塊世代とは異なる考え方が必要なのだろう。

長文
 著者は、次のとおり社会のほころびを指摘する。規制が機能していないところにさらに「規制緩和」と「自由化」を持ち込む。資源や手段が枯渇しているところにいっそうの締めつけや精神論を持ち込む。相互に矛盾するような「改革」が、思いつきのようにばらばらと実施される。うまくいかない状況をごまかすために、社会の内外にわかりやすい「原因」や「敵」を無理矢理見つけ出して叩く。そのうっぷんを晴らそうとするようなふるまいが、「強い人」の中にも「弱い人」の中にも広がっている。
 戦後日本の二つの転機としては、石油危機とバブル崩壊を挙げ、とくに後者については、完全失業者の増大など、「底が抜けた状態」としている。それ以前の「戦後日本型循環モデル」においては、仕事・家族・教育という三つの社会領域が堅牢に結合されていたとする。教育においては、公的支出の少なさの中で、父の賃金→家族→子への教育費→新規労働力というかたちで、社会が文字通り「まわっていた」という。また、その要因としては、九五年まで巨大地震が起きなかったなどの「幸運」に恵まれたこともあると言う。
 九五年の日経連『新時代の日本的経営』は、正社員の新規採用の抑制と、多様な雇用形態の非正社員の活用による事業の維持の姿勢に「お墨付き」を与えた。これ以降、「家族を食わす」に足るだけの収入が得られない男性の非婚化が進んだという。また、余裕層の中に、不透明社会に対して過剰なほど教育熱心な親が現れた。四〇人教室に、塾で3学年も先のことを学んでいる者と、家族の困窮や不和に苦しんで学習に向かえない者がおり、この教育格差と、家庭からの期待や要求の強まりの中で、教師は疲弊しているという。
著者は、もとより少なかったセーフティネットが切り捨てられ、二〇一三年八月には、子どもがいる家庭ほど生活保護額が切り下げられたことを挙げ、「循環そのものが壊れているのに、その周囲も真空状態」と批判する。
 著者は、「じあたま」やコミュニケーション能力などの不透明な採用基準を批判し、「組織の一員としての身分を与えられる」メンバーシップ型から、「一定の熟練や専門性に基づいて遂行される、ひとまとまりの行為」としてのジョブ型正社員の実現を主張する。
 セーフティネットについては、「アクティベーション」というもう一枚の布団を敷き、将来に向かって生きていける「中間的就労」などの支援の有効性を主張する。
 著者は、以上の観点に立った仕事・家族・教育の双方向モデルと富の再分配による税収の増大を主張し、そのモデルにおいて、学校の役割を、「保護者や地域に開かれた学校」、「家族へのケアの窓口」と位置づける。
 そして、団塊世代等の多大な財力と権力を握る層の無関心と、自己責任論による自他への否定的で冷酷な視点などの障害のなか、四〇代前半以下の層の日本型循環モデルの変革に向けた行動に注目する。
 「社会がうまくまわらなくなった」時代において、どういう労働観をもった子どもたちを育てればよいのか、考え直す必要があろう。




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