書評
われわれはアイデンティティを自己同一性ととらえ、その確立を若者の自立にとっての不変の価値として教育活動を進めてきた。だが、「重複型アイデンティティ」によって現実適応しようとする若者にとって、そのような自己同一性を押し付けることは、考えてみれば残酷な話だ。価値の伝承と創造を担う教育だからこそ、実態誤認の安易な若者論に振り回されることなく、社会学等の知見を取り入れたり、対抗させたりしながら、若者の自立支援の方策を見出さなければならない。
教育関係者としては、「みんなぼっち」の若者に対して、社会的視野を拡大させるための「ズレ愛」の方策を考える必要があろう。
本書の最後では、幸福感が極端に高いということについて、「大きな地殻変動のようなもの」を感じるとしている。幸せを感じるもとになるインフラが大きく変わって、情報環境的には、自己の欲求をいろいろと満たしながら、操作的な対人関係を築きながら、概ね「ほどはどの満足感に浸りながら」成長を遂げてきたことの証であるという。ただし、個人のレベルで目にするのは、ソフトなインターフェースの商品であっても、その背後にある巨大な複合体は、極めて激烈な競争と過酷で残酷な科学技術競争の中で生成されている。現代青年文化は、この厳しい現実に適応する最初の本格的な対応様式を築こうとしていると述べる。(テキストあり)
書評
川崎賢一、浅野智彦ほか
〈若者〉の溶解
勁草書房
2016年10月25日
川崎氏は、「宇宙船地球号」の乗組員としての人類は、互いにかかわりを持ちながら、生活せざるを得ない状況になったとし、欧米近代の基本的価値観である「自由と独立」を守りつつ、新しい共有の文化を作り出すという課題を提示する。そして、そのためには、多層性を確保しつつ、全体としては寛容な多様性を保有するという「重複型アイデンティティ」が重要だという。これは、本書全体のトーンとしての多元的自己論(状況対応型自分らしさ)と、過去の一元的アイデンティティ論へのアンチテーゼとしての文脈とつながる主張である。
また、若者の幸福感が極端に高いという実態については次のように述べる。幸せを感じるもとになるインフラが大きく変わって、自己の欲求をいろいろと満たしながら、操作的な対人関係を築き、概ね「ほどほどの満足感」に浸ってきた。ただし、背後には、極めて激烈な競争と過酷で残酷な競争がある。現代青年文化は、この厳しい現実に適応する最初の本格的な対応様式を築こうとしている。
評者は考える。われわれはアイデンティティを自己同一性ととらえ、その確立を若者の自立にとっての不変の価値として教育活動を進めてきた。だが、若者が「重複型アイデンティティ」によって現実適応しようとしているとするならば、そのような自己同一性を押し付けられることは、考えてみれば残酷な話だ。価値の伝承と創造を担う教育だからこそ、実態誤認の安易な「若者論」に振り回されることなく、同書のような知見を取り入れたり、教育学を対抗させたりしながら、若者の自立支援の方策を見出さなければならない。
書評長文
「モラトリアム人間」「パラサイトシングル」「ニート」「地元志向」「さとり世代」等々、これらの言葉に人々が惹きつけられてきたのは、若者の特徴を通して時代や社会のあり方が浮かび上がってきたからである。しかし現在、枠組としての「若者」が溶解しつつある。本書は、現在を、「若者」というカテゴリーの輪郭が溶解し、もはや主語の位置を占めるのが難しくなってしまったととらえ、「若者研究」はいかに可能かを述べようとする。
本書は、空転する若者語りと実態との解離を述べたうえで、日常的革新としての消費、「若者のアイデンティティ」論の失効と再編、「若者」はいかにしてニュースになるのか、現代的イエ意識と地方、近代的「恋愛」再考、地元志向の若者文化、コスモポリタニズムの日常化、若者の溶解と若者論について論を展開し、最後に今日の情報環境の理解のもとに、青年文化の現代的展開と可能性を語る。
「新しいコスモポリタニズムと新しいアイデンティティ」においては、「宇宙船地球号」の乗組員としての人類は、いろいろな意味で、お互いにかかわりを持ちながら、生活をせざるを得ない状況になったが、欧米近代の基本的価値観である「自由と独立」をある程度守りながら、どうやって我々は、新しい地球人としての共有の文化を作り出すことができるのかと問いかける。そこでは、幾つもの環境に関するアイデンティティを重ね合いながら、多層性を確保しつつ、全体としては寛容な多様性を保有するという「重複型アイデンティティ」の意義が語られる。
本書の最後では、幸福感が極端に高いということについて、「大きな地殻変動のようなもの」を感じるとしている。幸せを感じるもとになるインフラが大きく変わって、情報環境的には、自己の欲求をいろいろと満たしながら、操作的な対人関係を築きながら、概ね「ほどはどの満足感に浸りながら」成長を遂げてきたことの証であるという。ただし、個人のレベルで目にするのは、ソフトなインターフェースの商品であっても、その背後にある巨大な複合体は、極めて激烈な競争と過酷で残酷な科学技術競争の中で生成されている。現代青年文化は、この厳しい現実に適応する最初の本格的な対応様式を築こうとしていると述べている。
評者は考える。われわれはアイデンティティを自己同一性ととらえ、その確立を若者の自立にとっての不変の価値として教育活動を進めてきた。だが、「重複型アイデンティティ」によって現実適応しようとする若者にとって、そのような自己同一性を押し付けることは、考えてみれば残酷な話だ。価値の伝承と創造を担う教育だからこそ、実態誤認の安易な若者論に振り回されることなく、社会学等の知見を取り入れたり、対抗させたりしながら、若者の自立支援の方策を見出さなければならない。
〈若者〉の溶解
はしがき……浅野智彦
1 空転する若者語り
2 語りと実態との解離
3 若者論のゆくえ
第一章 日常的革新としての消費……川崎賢一
1 消費と日常性
2 現代日本の若者文化
3 中国の若者文化
4 グローバルな若者文化
5 消費からみえてくるもの
第二章「若者のアイデンティティ」論の失効と再編……浅野智彦
1 枠組としてのアイデンティティ論
2 アイデンティティの「喪失」「解体」という語り
3 三つの社会変容
4 トランスフォーマティブ社会におけるアイデンティティ
第三章 「若者」はいかにしてニュースになるのか……小川豊武
1 はじめに
2 分析の対象――靖国神社に参拝に来た「若者」たち
3 「若者」はどのようにして「目立つ」のか
4 インタビュイーの発言はどのように理解できるのか
5 結語
第四章 現代的イエ意識と地方……羽渕一代
1 はじめに
2 イエとは
3 イエ意識の希薄化論
4 調査方法
5 農家に生まれるということ――手伝うことと社会関係における周囲の認知
6 家業の歴史を評価するということ
7 漁師ほど面白いものはないが……
8 家産の継承ではない連続性
9 おわりに
第五章 近代的「恋愛」再考………木村絵里子
――『女学雑誌』における「肉体」の二重性
1 はじめに
2 「愛」に基づく男女関係
3 「恋愛」の反社会性
4 精神と肉体の連続性
5 Loveの日本的展開
第六章 地元志向の若者文化……辻泉
――地方と大都市の比較調査から
1 はじめに
2 一元的な「若者文化」論再考
3 比較実態調査の試み
4 調査結果
5 まとめ・今後の課題
第七章 コスモポリタニズムの日常化……川崎賢一
1 新しいコスモポリタニズムと新しいアイデンティティ
2 三つのコスモポリタニズム――人間的現実に基づくコスモポリタニズム
3 情報化の究極のコスモポリタニズム――もう一つの新しいコスモポリタニズム
4 二つのコスモポリタニズムを結ぶもの――二つの四段階モデルのマッチング
5 地球的コスモポリタニズムと若者文化
終章 若者の溶解と若者論……浅野智彦
1 溶解していく「若者」
2 近代化と青年の誕生
3 戦後若者文化の登場と溶解
4 ポストーバブル期の若者たち
5 若者論の可能性
あとがき……川崎賢一
――青年文化の現代的展開と可能性
1 情報環境と青年文化
2 青年文化の転換点――グローバルな文脈で
3 青年文化の可能性
索引
若者文化研究所は若者の文化・キャリア・支援を専門とする研究所です。