書評高塚雄介編著『ひきこもりの理解と支援─孤立する個人・家族をいかにサポートするか』
評者は考える。リアルな場で一人で子ども集団と対面する学校教育関係者にとっては、このような個人への対応は困難な面も多いだろう。教員以外の支援者との協働などが求められよう。同時に、個人の自立が困難な今日、教育における多様性の保証、個別最適化された学び、そしてその上での社会形成者の育成について、「わがこと」と捉え直して取り組む必要があるといえよう。
書評
高塚 雄介 編著
ひきこもりの理解と支援─孤立する個人・家族をいかにサポートするか
出版社 : 遠見書房
発売日 : 2021/3/25
¥2,860
本書は、ひきこもり者にとって必要な自立とは他者に頼らないことではなく、必要なケアを広く薄く調達することだと言う。そして、皆の前で自分のことなどを話すことを求められる、いわゆるプレゼンテーションや少人数で行うグループ学習について、ひきこもりの若者たちの多くが嫌いな教育のスタイルだと言う。発言できない者にとっては、自分の存在が「いてもいなくてもいいもの」になってしまうと言うのだ。子どもたちに任せておけば自主性が育つなどという安易なものではないと本書は警告する。
ICTについては、次のように述べる。似た境遇にある人がいると思っても、リアルな居場所に足を運ぶのは非常に勇気がいる。そのように迷っている当事者にとっては、まずはオンラインで過去に行われた対話グループを視聴するのが役に立つ。そこで、どんな話をしているのか、ただ聞いているだけでもいいのかなどを確認することができる。大丈夫そうであれば、自宅にいながら参加することが可能になる。オンラインであれば、やめたいときはすぐにやめられる。本書は、ICTを活用することによって、ひきこもりの当事者が対支援者や当事者同士でよりつながることができると期待する。
評者は考える。リアルな場で一人で子ども集団と対面する学校教育関係者にとっては、このような個人への対応は困難な面も多いだろう。教員以外の支援者との協働などが求められよう。同時に、個人の自立が困難な今日、教育における多様性の保証、個別最適化された学び、そしてその上での社会形成者の育成について、「わがこと」と捉え直して取り組む必要があるといえよう。
高塚 雄介 (著、 編集)
ひきこもりの理解と支援─孤立する個人・家族をいかにサポートするか
出版社 : 遠見書房 (2021/3/16)
発売日 : 2021/3/25
¥2、860
初めから「助けて」と言わずに引きこもっているのではない。届かないからあきらめるのだ。本書は、医学的視点から心の健康をとらえようとする精神保健に対し、生きている地域社会が有している文化や伝統、価値観との関連から心の健康をとらえようとする精神衛生の視点から書かれている。しかし、いろいろなタイプのひきこもりに接しているのは非専門家により対応が図られている民間の支援機関やそこで働く人たちであり、ひきこもりという状態像だけで引き受けざるを得ないのだが、実際に対応していくとかなり違いがあると言う。そして、臨床というのは「見立て」から始まるのだが、民間の支援機関には、経済的理由などから、見立てができる専門家を置いているところは少ないと言う。
「子ども・若者育成支援推進法」により、若者世代の育成にはさまざまな組織や人が連携してあたることが義務付けられ、「虐待」については地域連携組織というものが機能するようにはなったが、いじめやひきこもりに関しては、中心がどの省庁になるのかという縦割り行政の主導権争いがあり、なかなか方針の一元化が図られていかなかったと言う。
その後も関西で起きた小学校内での殺りく事件であるとか、秋葉原で起きた通行人殺りく事件の犯人がひきこもり予備軍的存在であったということから、ひきこもりと犯罪とが結び付けられる論調が相次ぎ、ひきこもりは犯罪をもたらしやすい怖い存在としての認識が一部にずっと受け継がれてきたと批判する。そして、「子ども・若者育成支援推進法」も最近では子どもの貧困対策に関心が移ってしまい、法制定の趣旨が理解されていないのではないかと言う。
「ひきこもり」対「自立」でよいのかという問題については、次のように述べる。もし「自立」が他者にまったく頼らず生きることだとすれば、そんなことは無理だ。むしろ、自分に必要なケアを一ヵ所のみからでなく広く薄く調達すること、いわば「依存先を多くもつこと」が「自立」だと考える方が現実的なのではないか。
ひきこもりについては、その屈折感は親や家族からまずもたらされ、学校教育がそれを強化していると言う。そして、今日の日本の国是は、グローバリゼーションの掛け声のもとに進められつつある競争原理社会の重視と、それを前提とした人間関係の在り方やコミュニケーションの在り方を子どもたちに築こうとしているとし、それに馴染めない人間にひきこもりをもたらしていると言う。社会の近代化と合理化の進行により、その人たちが生きていける場というのはどんどん失われ、その代わりに現代社会はその人の資質を教育の力で克服することを前提として考案されるようになっていった。その結果、教育は人の性格までも作り変えられるというおごりすら抱くようになったと警告する。資質を向上させるという言い方はそれなりの説得力を持つが、人間の性格というのは資質の中で大きい役割を占めているものであり、それを作り変えるというのはそんなに生易しいことではない。そして、それを課題として取り組むことにより抱えている問題を克服できた者はいいが、そうした教育に直面すればするほどその期待に応えられない自分を責めるようになり、次第にそうした教育を受けることに対して苦痛を感じるようになっていく者がいると言うのだ。
ひきこもりの若者たち多くが嫌だった教育のスタイルの一つは、皆の前で自分のことなどを話すことを求められる、いわゆるプレゼンテーションであると言う。また、もう一つが少人数で行うグループ学習だったと言う。どちらも教研集会などでは子どもの自発性・自主性を高めるものとしてその多くは高く評価されているが、ひきこもり化していく者たちの多くは苦痛で仕方がなかったと訴えると言うのだ。グループ学習では発言力の大きい者たちがどんどん仕切り、自分の存在は次第にいてもいなくてもいいものになってしまう。これにより次第に不登校になっていく者や、いじめの対象になった者もいると言う。冷静に考えてみると、プレゼンテーションを行う場合は当事者の資質を見極め、他の生徒から違和感を出さない指導が必要になる。グループ学習の場合はそれ以上に綿密な指導が必要であり、自主性を評価するからといって、子どもたちや個々のグループに運営を任せることがあってはならない。任せておけば自主性が育つなどという安易なものではないと著者は力説する。
そのほか、法制化の上、1987年に最終答申としてまとまった臨時教育審議会の@個性重視の原則、A生涯学習体系への移行、B国際化、情報化等変化への対応の三本柱が、今日においても通じる先見性が明白としている。
社会教育においては団体への参加は自由であるので、子ども・若者の「集団離れ」はすぐに会員数の減少という数字となって現れた。一方で、「義務」とされた学校教育においては、この現象は数年遅れることなり、1990年前後に「登校拒否・不登校」として大きな社会問題として認識されるようになったと分析する。
最後に「ICTは当事者と支援をつなぐ」として次のように述べている。似た境遇にある人がいると思っても、会場に足を運ぶのは非常に勇気がいる。そのように行くか行かないか選択肢で迷っている当事者にとっては、まずはオンラインでVRを利用して過去に行われた対話グループを視聴するのが役に立つだろう。そこで、どんな話をしているのか、ただ聞いているだけでもいいのか、などを実際に参加しているかのように体験して確認することができる。大丈夫そうであれば、自宅にいながら参加することが可能になる。途中で帰るのも帰りづらい会場と比べて、VR参加であれば、やめたいときはすぐにやめられるのもメリットだ。参加に二の足を踏んでいた当事者の背中を押すことになりそうだ。本書は、現在おこなわれている支援や活動に、ICTを組み合せて活用することによって、ひきこもりの当事者が支援や当事者同士でよりつながることができることに期待する。
評者は危惧する。これまで述べてきた「引きこもりへのサポート」は、学校教育関係者にとって、「集団指導」にはなじまないものとしてとらえられてしまうのではないか。しかし、個人化が進む今日においては、本書の提起する課題の解決なしには、教育における多様性の保証も、個別最適化された学びも、そしてその上での社会形成者の育成についても、望むべくもないといえよう。
【資料】
著者について
中央大学文学部哲学科卒。
中央大学学生相談室,早稲田大学健康管理センター,常磐大学を経て,明星大学教授・大学院人文学研究科長,明星大学名誉教授。
この間,精神科クリニック臨床心理士,東京学芸大学学生相談室員,東京都教育相談センター・東京都児童相談センタースーパーバイザーなどを務める。約40年間に渡り,さまざまなタイプのひきこもりの対応と,研究にあたる。
現(社団)メンタルヘルス・ビューロー理事長。
(財団)日本精神衛生会理事,元日本精神衛生学会理事長。
主な著書:
「ひきこもる心理 とじこもる理由」(学陽書房,2002),「改訂版 電話相談の実際」(共著,双文社,2020),「学校メンタルヘルス実践事典」(編著,日本図書センター,1996),「人間関係と心の健康」(編著,金剛出版,2000),「学校社会のカウンセリング」(編著,学文社,2000),「臨床心理学 やさしく学ぶ」(共編,医学出版社,2009),「電話相談活用のすすめ 心の危機と向き合う」(共編,遠見書房,2015)
第1部 ひきこもり再考
序 章 「ひきこもり」対「自立」でよいのか―リカバリーの視点から 影山隆之
第1章 あらためてひきこもりを考える 高塚雄介
第2章 心のゆとりを作るためには 寺脇 研
第3章 若者の居場所の構想 田中治彦
第2部 これからのひきこもり支援
第4章 札幌市/北海道における取り組み―地域社会におけるひきこもり支援1 阿部幸弘・安保麻衣子・樋口正敏・三上雅幸
第5章 長野県における取り組み―地域社会におけるひきこもり支援2 小泉典章
第6章 わたげの会における取り組み―民間におけるひきこもり支援1 秋田敦子
第7章 家庭からの離脱がひきこもりには必要―民間におけるひきこもり支援2 橋淳敏
第8章 ひきこもる家族への支援と課題 池上正樹
第3部 ひきこもりのさらなる理解に向けて
第9章 ひきこもりの支援 研究と実践の循環 ロザリン・ヨン
第10章 ひきこもる若者の抱える不安 菅野 綾
第11章 ICTはひきこもり支援に役立つのか 鈴木健一
まえがき(刊行にあたって)(https://tomishobo.com/catalog/ca119.html)
ひきこもりに関する研究論文や書物は2000年代に入ると数多く出されている。それなのに今さらひきこもりについて特に新しい考えや内容が示されない限り、あまり関心が持てないと思う人が少なくないだろう。にもかかわらずあえてこの本を出すことにしたのは「ひきこもり」という現象の背景に何があるのかということについて、あらためて考える機会を提供したいと考えたからである。そのように思ったのは、2019年5月、平成から令和に元号が変わり、世間が何となく新しくなった雰囲気に包まれていた頃に、人々を震撼とさせる事件が相次いで起きたことによる。その事件の加害者と被害者がともにひきこもりであったと報じられ、その内容が詳しく報じられるにつれ、ひきこもりは犯罪と結びつく危険な存在であるという認識があっという間に広まった。さらに事件の当事者となったのが、40代、50代というかなり年齢が高い層であり、高年齢者のひきこもりに関する全国調査の結果や、ひきこもりに関する8050問題というのが、多く報じられたのと軌を一にして起きた事件であった。ひきこもりが若い人たちだけの問題ではなくなってきていることが、人々に突き付けられたと言ってもいいのだが、いわゆる8050問題というものをそのまま受け止めていいのだろうかという疑問もある。
この本の執筆者の多くは日本精神衛生学会に所属している。学会としては約30年前からひきこもりの問題に取り組んでおり、筆者は東京都が実施したひきこもりの実態調査や内閣府が実施した全国のひきこもり実態の第一回目の調査に関与している。精神衛生というのは今日では精神保健という用語に等しいと考えられ、どちらもメンタルヘルス(心の健康)と呼ばれている。しかし、この学会を立ち上げた土居健郎は精神衛生の見方は精神保健とは少し異なると指摘している。精神保健がどちらかというと医学的視点から心の健康をとらえようとするのに対し、精神衛生は心の健康には、生きている地域社会が有している文化や伝統、価値観との関連をどう見るかが大事であるという。この考え方を引き継いだ吉川武彦(元)国立精神保健研究所所長と、その後で理事長職を引き継いだ筆者もその考え方を大事にしている。
この本を読んで頂けるとわかると思うが、ひきこもりに対する見方も、対処の仕方も各執筆者によって微妙な違いがある。そこにひきこもりの対応の難しさが存在している。
ひきこもりの理解や対応を難しくさせている要因の一つとして、さまざまな対応する機関や専門家の見ている対象が少しずつ異なっていることがあげられる。精神保健福祉センター、教育相談センター、医療機関、大学や企業のカウンセリング・ルーム等、医師や臨床心理士が対応していると言っても、そこで扱うひきこもりの当事者はそれぞれの機関により少しずつ異なっている。ひきこもり当事者には会えずに家族や周辺の人から聞く内容からの認識も少なくない。医療ならば問題にされるエビデンスが明確にならない。筆者はいろいろな機関で勤務したことがあることからそのことに疑問を持っていた。どうしても自らが対応したひきこもりを軸に概括しやすい。そこに微妙な違いが生まれるのだが、ひきこもりという状態像だけが問題にされるとなかなかその違いに関心は集まらない。実はいろいろなタイプのひきこもりに接しているのは非専門家により対応が図られている民間の支援機関やそこで働く人たちであろう。ひきこもりという状態像だけで引き受けざるを得ないのだが、実際に対応していくとかなり違いがあると多くの現場から聞かされた。臨床というのは「見立て」から始まるのだが、民間の支援機関には見立てができる専門家を置いているところは少ない。経費的な問題がそこにはある。
ひきこもりとみなされた若者が起こしたとされる事件が注目されるのは今に始まったことではない。1990年に誘拐された少女が9年間に渡って犯人の自室に閉じ込められた事件が2000年に発覚したが、この事件の犯人が今日でいうところのひきこもりではなかったかとみなされた。同居する母親は少女が息子の部屋に監禁されていることを知らないまま、働くことをしない息子のことを案じてさまざまな公的相談機関や病院などに相談をくりかえしていたという。しかしどこに行ってもここの管轄する問題でないとか、しばらく様子を見ましょうという答えばかりで、何の手立ても打たれなかったのだという。そのことが明らかにされたことにより、これでは相談機関が存在している意味が問われるということから、各省庁の枠を越える役割を担う内閣府が全国の青少年の相談を受けている機関の実態がどうなっているかを調べることになり、その委員長に筆者が委嘱された。全国のさまざまな公的相談機関がどのように連携を取っているかということが調査の主たる課題であった。結果は当時も形式的な連携組織は地域ごとに存在していたが、実態は無きに等しいということが報告された。この調査結果を受ける形でその約10年後に「子ども・若者育成支援推進法」という法律が制定され、若者世代の育成にはさまざまな組織や人が連携してあたることが義務付けられたのである。筆者はその法律により「いじめ」や「ひきこもり」それと増加しつつある「虐待」を受けた子どもたちなどへの支援策が進むだろうと期待した。しかし「虐待」については地域連携組織というものが機能するようにはなったが、いじめやひきこもりに関しては、中心が厚労省になるのか、はたまた内閣府かそれとも文科省あるいは法務省なのかというまさに縦割り行政の主導権争いがあり、なかなか方針の一元化が図られてはいかなかった。
その後も関西で起きた小学校内での殺りく事件であるとか、秋葉原で起きた通行人殺りく事件の犯人がひきこもり予備軍的存在であったということから、ひきこもりと犯罪とが結び付けられる論調が相次ぎ、ひきこもりは犯罪をもたらしやすい怖い存在としての認識が一部にずっと受け継がれてきたことは事実である。
肝心な「子ども・若者育成支援推進法」も最近では子どもの貧困対策に関心が移ってしまっている。貧困問題は重要な課題ではあるが、「子ども・若者育成支援推進法」制定の趣旨がどうも理解されていないのではないかと思えてくる。
日本精神衛生学会では研究会を組織し、ひきこもりの実態を明らかにするように努めてきたが、ひきこもりが生まれる背景に若者の意識の屈折があるととらえてきた。
この本はひきこもりと犯罪との関連を論ずるためでも、ひきこもりの高年齢化を論ずるために書かれたものでもない。ただあらためてひきこもりとは何かということを専門家のみならずひきこもりの当事者や一般の方々に考えていただく機会を提供したいとの思いから生まれた。専門家向けの素材を提供されている遠見書房さんに、出版の社是とはいささか異なる出版物の刊行を依頼したところ快く引き受けていただき深謝に堪えない。多くの方々に関心を持っていただけると幸いである。
執筆者を代表して 高塚雄介
執筆者一覧
影山隆之(大分県立看護科学大学精神看護学研究室)
高塚雄介(明星大学名誉教授)=編者
寺脇 研(星槎大学大学院教育学研究科特任教授)
田中治彦(上智大学名誉教授)
阿部幸弘(公益財団法人北海道精神保健推進協会・こころのリカバリー総合支援センター)
安保麻衣子(公益財団法人北海道精神保健推進協会・こころのリカバリー総合支援センター)
樋口正敏(公益財団法人北海道精神保健推進協会・こころのリカバリー総合支援センター)
三上雅幸(公益財団法人北海道精神保健推進協会・こころのリカバリー総合支援センター)
小泉典章(長野県精神保健福祉センター)
秋田敦子(特定非営利活動法人わたげの会)
橋淳敏(ニュースタート事務局関西)
池上正樹(KHJ全国ひきこもり家族会理事・ジャーナリスト)
ロザリン・ヨン(秋田大学大学院医学系研究科、特定非営利活動法人・光希屋(家)代表)
菅野 綾(八王子市子ども家庭支援センター)
鈴木健一(あしかがメンタルクリニック、公認心理師・臨床心理士)
若者文化研究所は若者の文化・キャリア・支援を専門とする研究所です。