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書評工藤勇一,鴻上尚史『学校ってなんだ!ー日本の教育はなぜ息苦しいのか』
 現在、教員自体が、校則徹底や雑務に追われて、自由闊達に「対話」する風土が育っていないという状況がありはしないか。社会から隔離されたこのような「学校の因襲」を打ち破ってチームとして「対話」を始めることこそ、まずは必要だと評者は考える。

書評


工藤勇一,鴻上尚史
学校ってなんだ!
ー日本の教育はなぜ息苦しいのかー
(講談社現代新書)
2021/8/18
¥990

 鴻上氏は、巻頭で「先生を信頼したかった」が、校則の理由を尋ねてもまともな返答がなく、期待を裏切られたと話す。本編では、校長の工藤氏と劇作家の鴻上氏が、ブラック校則、いじめ、心の教育、不登校、教師の長時間労働等について語り合う。そこでは、「服装・頭髪の乱れは心の乱れ」という迷信、「朝の挨拶運動」はただの時間外労働、自律性を奪う宿題、「絆」と「団結」が目標になってしまう不合理などの問題を指摘する。
 工藤氏は、「自分の生きている『社会』をよりよいものに成長させていくためには、そこにいる一人一人が『社会の当事者』として成長できなければならない」とし、学校という場はそれが学べる大切な場所であると言う。そのために特に重要なことは『対話』だとし、互いの違いを理解しながらも、全員がOKなものを見つけ出すための『対話』のプロセスを学ぶことさえできれば、社会は確実に変えられると期待する。そして、学校の大切な役割として、第一に「すべての子どもたちが、社会でよりよく生きていけるような力を身につけていく場」を挙げる。第二に、「2030年、人類は滅ぶかどうかの岐路に立つ」と多くの科学者や専門家が指摘することから、SDGsの目標のもとに、「すべての子どもたちが、持続可能な社会を築いていくための方法を共に学び合う場」を挙げる。
 現在、教員自体が、校則徹底や雑務に追われて、自由闊達に「対話」する風土が育っていないという状況がありはしないか。社会から隔離されたこのような「学校の因襲」を打ち破ってチームとして「対話」を始めることこそ、まずは必要だと評者は考える。

【以下長文】
 本書では、校長の工藤氏と劇作家の鴻上氏が、ブラック校則、いじめ、心の教育、不登校、教師の長時間労働等について語り合う。そこでは、ブラック校則問題は一部にすぎない、「服装・頭髪の乱れは心の乱れ」という迷信、教育委員会と議会の力学、教育の最上位の目的、「朝の挨拶運動」はただの時間外労働、全員を当事者に変えるのが校長の仕事、自律とは自ら考える習慣をつけさせること、自律性を奪う宿題、定期テスト廃止でめざすこと、PTAが決める頭髪・服装のルール、スーパー教員がもたらした学級崩壊、日本独特の「みんな同じ」、五分前行動のくだらなさ、しつこいくらいに生徒とつきあう、密接な関係をつくらないと、間を理解できない、服装なんてどうでもいい、違うクラスの生徒を授業に参加させる、「絆」と「団結」が目標になってしまう、日本の教育は精神主義的、誰も本気で思っていないスローガン、社会に向けて自分の「実感」を伝える、感情をコントロールする技術、事実へのアプローチの仕方を学ぶ英国の授業、子どもたちに権限を与えずに教室で政治を扱う矛盾、タイムマネジメントを学ばせない日本、世の中の矛盾を考える授業、言語化して意識をコントロールする、エンパシーを獲得する、授業とは一対一、日本にユニコーン企業が少ない理由、高度成長期の教育モデルはもう通用しない、教育から見えてきた日本社会と続く。巻頭で鴻上氏は、「先生を信頼したかった」が、校則の理由を尋ねてもまともな返答がなく、期待を裏切られたと話す。
 工藤氏は言う。「『服装頭髪の乱れは心の乱れ』というフレーズは、長い問、日本中の学校でまことしやかに言われてきました。しかし、情報化社会になった今ではこのことがまったくの迷信であることなど、ほんとうは日本中の誰もが知っているはずのことです。欧米の学校ではそもそもそんな概念すらないのですから、これが学校教育の本質ではないなんてちょっと考えれば簡単にわかることだからです。にもかかわらず、多くの学校では今でも相変わらずルールを維持しています。「服装頭髪のことなど勉強には関係ない」、「そんなことを気にするんじやない」、多くの教師たちが声を荒らげてこう言います。しかし現実は教師が厳しく指導すればするほど、生徒たちは服装頭髪のことをますます意識するようになってしまいます。さらに悪いことには、やればやるほど生徒と教師のあいだの「信頼関係」というもっとも大切なものを失っていきます。そして、教師自身が不幸になっていくのです」。
 そして、次のように続ける。「人は信頼する人や尊敬する人からしか価値観を学びません。多くの場合、好きな人からしか学ばないと言ってもよいのかもしれません。ですから、信頼を失った教師が生徒たちにどんなに立派なことを述べたとしても、その言葉は生徒たち自身の価値観、生き方に響くことはほぼありません。それは教師にはとてつもなく苦痛です。その延長線上には対立関係しか生まれないからです。校則は教師が意識すればするほど生徒も意識するようになります。生徒たちに『勉強以外のことに目をとらわれるな』と言いたいのであれば、校則は逆に厳しく注意してはいけないのです」。
 さらに、教育の「問題」は作られた幻想にすぎないとして、次のように言う。「多くの場合、教育の多くの『問題』は作られた幻想にすぎないのかもしれません。そして、そうした『問題」にたくさんの子どもたちが苦しみ、結果として作った大人たちさえ苦しんでいるのです。小一プロブレム、中一ギャップ、不登校、校則、発達障害・・・、ほんとうにそこに「問題」があるのでしょうか。ちょっと見方を変えれば、そこにはそもそも問題などないのかもしれません。というより、ほとんどの場合、明らかにそこには「問題」などないのです。じっと席に座っていられない小学一年生かなぜ問題なのでしょうか。デンマークでは子どもがたとえ床に転がって授業を受けていても叱られることなどないと聞きます。教師は子どものいったいどこに注目すべきなのでしょうか。座席にじっと座ることのできる忍耐力でしょうか。それとも学ぶ意欲なのでしょうか。学校に行かないことはほんとうに問題なのでしょうか。むしろ、そのことでみんなが不幸になることこそが問題だと私には思えます。学校は社会に山る準備期間として価値があるのですから、学校に行くこと自体が目的には成り得ないはずです。
 校則も同様です。公立の中学校では校内でアメやガムを食べていることが「重罪」のように扱われますが、外国では授業中に飲みものやお菓子を食べてもよい国もあります。問題は「問題だ」と言った時から問題になるのです。世の中のルールやモラルに照らして考えれば、ガムを食べていることが問題になるのではなく、包み紙が床に落ちているとか、ガムが吐き出されていたとか、そうしたことこそ問題なはずです。むしろ、そういう問題は世の中で起こっている問題と同じことですから、よりよい社会を作るためにはどうすべきかを学ぶチャンスです。生徒たち自身に当事者として対話させればよいのです」。
 さらに工藤氏は、「自分の学校を当事者として受け止める」として、次のように言う。「自分のいる学校を否定することは、自分の生きている社会を否定すること。僕自身はそんな気がするのです。まずは自分の生きている社会を受け入れる、そのためには自分の学校のありのままを、すべての課題もひっくるめて当事者として受け入れる。たとえ苦しくてもこのことが大切だと思います。『なんで、うちの学校はダメなのか』『なんて、日本はダメなのか』などと言って、自分がその組織の構成員の一人であることをつい忘れてしまいます」。
 そして工藤氏は言う。「当たり前のことですが、自分の生きている『社会』をよりよいものに成長させていくためには、そこにいる一人一人が『社会の当事者』として成長できなければならないということです。一見不可能なことのように感じるかもしれませんが、学校という場はそれが学べる、大切な場所であることを僕は自らの体験を通して確信することができたのです。そのために特に重要なことは『対話』です。互いの違いを理解しながらも、全員がOKなものを見つけ出すための『対話』。このプロセスをすべての子どもたちに学ばせることさえできれば、社会は確実に変えられます」。
 巻末で工藤氏は、人は信頼する人からしか価値観を学ばない、教育の「問題」は作られた幻想にすぎないとし、自分の学校を否定するのではなく当事者として受け止め、全員が合意できることを見つけるための「対話」をつくりだすよう主張する。そして、学校の大切な役割として、第一に「すべての子どもたちが、社会でよりよく生きていけるような力を身につけていく場」を挙げている。そして、「2030年、人類は滅ぶかどうかの岐路に立つ」と多くの科学者や専門家が指摘することから、SDGsの目標を受け、第二に、「すべての子どもたちが、持続可能な社会を築いていくための方法を共に学び合う場」を挙げる。
 現在、子どもたちがこのような人類の課題に「当事者意識をもって取り組む」ようになるための教育が、社会から学校に求められている。だが、学校の教員自体が、校則徹底や雑務に追われて社会と断絶し、自由闊達に「対話」する風土が育っていないという状況が見受けられる。本書では、「従順な子をつくる教育は、もう終わりにしよう」と訴えているが、教員自体が社会からは隔離された「学校の因襲」に対して「従順」を強いられている状況を打ち破って「対話」を始めることこそ、まずは必要だと評者は考える。


【以下資料】
「従順な子」をつくる教育は、もう終わりにしよう!

ブラック校則、いじめ、心の教育、不登校、教師の長時間労働――。
日本の教育が抱える最大の問題とは?

『学校の「当たり前」をやめた。』著者と、日本の同調圧力を追及してきた演出家による必読の学校論!

・教師への信頼を失わせるブラック校則
・「服装・頭髪の乱れは心の乱れ」という迷信
・不登校からのリハビリ
・いじめの件数に意味はない
・「朝の挨拶運動」はただの時間外労働
・「国や社会を変えられると思う」は18.3%
・「わかる授業」が良い授業なのか
・30人を超えると集団の質が変わる
・スマホのルールは子どもたちが決める
・ぶつかり合うのは当たり前
・スーパー教員がもたらした学級崩壊
・「絆」と「団結」が目標になってしまう
・対話が苦手な日本人
・感情をコントロールする技術
・日本にユニコーン企業が少ない理由


ブラック校則に直面する生徒、子の不登校に悩む親、長時間労働に疲れる教員……すべての人に贈る、常識を疑うヒント。

この頃には、「無意味な校則は、生徒と学校の信頼関係を壊す」と僕は言っていました。けれど、「先生を信頼したいからです」までは言葉になっていませんでした。 

工藤勇一;鴻上尚史.学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか(講談社現代新書)(Kindleの位置No.96-97).講談社.Kindle版.

多様性の社会を生きる知恵 対談してみると、工藤さんと僕はとても同じことを考えているんだと発見しました。 それはたぶん、工藤さんが学校という現場に生き、僕は演劇の稽古場という現場に生きているからだと思います。 現場では、抽象的な論理や崇高な理想論より、人間的な生臭さが優先されることがよくあります。それは、妥協とか敗北なんていう簡単な言葉で説明できることではないのです。 工藤さんは「心の教育」という言葉が嫌いだとおっしゃいます。僕も嫌いです。 差別の問題も、日本人はすぐに心を問題にします。 けれど、誤解を恐れず、はっきり言えば、心の中で差別意識があることと、それを態度や言葉にすることは、まったく違います。「心の教育」は、心の中にある「差別意識」を問題にします。 そうすると、真面目な人ほど、「まだまだ、私は差別する心がある」と反省して何もできなくなります。 でも、心の中から一〇〇%、差別する心を追い出すことは、僕は不可能だと思っています。民族的な差別をまったくしない人も、美醜で差別することがあるかもしれません。美醜をまったく気にしない人も、学歴や貧富で差別するかもしれません。 けれど、心の中に差別する感覚が残っていることと、それを態度や表情、言葉に出すこととはまったく違うのです。 日本では、震災などの時に多額の寄付をすると、偽善とか売名行為という言葉がささやかれます。ネットで堂々と言っている人もいます。 それは、行動と心の両方を問題にすることが当然だと思っているからです。 でも、心の中の一〇〇%の純真さを求める限り、人はまったく動けなくなると思います。 心の中がどんなことを思っていても、震災地に多額の寄付をすることは素晴らしい。心の中は問題にしない。ただ、行動だけを問題にする。 これは、これからますます加速する多様性の社会を生きる知恵です。

工藤勇一;鴻上尚史.学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか(講談社現代新書)(Kindleの位置No.116-134).講談社.Kindle版.

目次
はじめに鴻上尚史
 「先生を信頼したかった」
 「やりたいなんて言ってないけど」
 下校時の「買い食い」
 黒色のストッキング禁止の理由
 言葉が通じる先生がいる
 多様性の社会を生きる知恵
 「学校に行くこと」と「勉強すること」は違う 「学校をいっしよに改善しませんか」
第一章学校が抱える問題
 校則に悩む女性教師からの相談
 ブラック校則問題は、一部にすぎない 校則を変えたあとの「むなしさ」
 学校を変えるための戦略
コエの優先順位リスト
「服装・頭髪の乱れは心の乱れ」という迷信みなの固定観念に疑問をぶつける
手をかけすぎる母親の悩み
不登校からのリ(ビリ
リ(ビリのための三つのセリフ
俳優を育てる方法
変化するいじめの定義
教育委員会と議会の力学
いじめの件数に意味はない
教科書を使わない授業
教育の最上位の目的は
「教師のバトン」の本質的な問題
過酷な労働条件
「朝の挨拶運動」はただの時間外労働
部活動はボランティア
全員を当事者に変えるのが校長の仕事
第二章自律をさせない日本の学校
 「国や社会を変えられると思う」は一八・三% 「私なんて」−自己肯定感の低さ
 自律とは、自ら考える習慣をつけさせること 学校という「世間」
 誰一人取り残さない方法を皆で考える
 幕がヒがれば、舞台は俳優のもの
 教育とは「やり直し」
一斉休校があぷり山したこと
「わかる授業」が良い授業なのか
「アクティブこフーニング」は効率的
三〇人を超えると集団の質が変わる
スマホのルールは子どもたちが決める
「私のパソコンはあなたの眼鏡」
自律性を奪う宿題
定期テスト廃止でめざすこと
「見えない学力」と「見える学力」
麹町中を卒業した子は、高校で苦労しないのかPTAが決める頭髪・服装のルール
ぶつかり合うのは当たり前
スーパー教員がもたらした学級崩壊
教員全員が声をかける
人は変わる
第.一.卓同質性への違和感
 日本独特の「みんな同じ」
 山形での教員時代
 「自分だけいい人間みたいだ」
 小さな社会をつくる醍醐味
 ただ一人組合には入らなかった
 鋭い指示を山すのが、いい演出家ではない
 五分前行動のくだらなさ
 しつこいくらいに生徒とつきあう
 密接な関係をつくらないと、人間を理解できない 子どもたちで旅行を企画
 服装なんてどうでもいい
 タトリングとテリング
 違うクラスの生徒を授業に参加させる
 「命」の大事さを教えてくれた、あるベテラン教師 従順な子どもか自分で考える子どもか
第四卓対話する技術
 「絆」と「団結」が目標になってしまう 対話が苦手な日本人
 教育の最大の課題は何なのか
 「言葉は伝わらない」
 日本の教育は精神主義的
 誰も本気で思っていないスローガン
 運動会の挨拶で語られる言葉
 社会に向けて自分の「実感」を伝える 感情をコントロールする技術
事実へのアプローチの仕方を学ぶ、英国の授業
子どもたちに権限を与えずに、教室で政治を扱う矛盾
タイムマネジメントを学ばせない日本
道徳の授業で、内心を評価できるのか
世の中の矛盾を考える授業
言語化して、意識をコントロールする
エンパシーを獲得するためにI「なぜ継母はシンデレラをいじめたのか?」ミュージカルの公演に取り組むワークショップ
「多様性ってしんどい」
授業とは一対一
日本にユニコーン企業が少ない理由
高度成長期の教育モデルはもう通用しない
教育から見えてきた日本社会
おわりに工藤勇一
 人は信頼する人からしか価値観を学ばない
 教育の「問題」は作られた幻想にすぎない
 自分の学校を当事者として受け止める
 全員が合意できることを見つけるための「対話」 学校の大切な役割



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