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榎本博明『勉強ができる子は何が違うのか』ちくまプリマー新書、2023/11/9

書評榎本博明『勉強ができる子は何が違うのか』ちくまプリマー新書、2023/11/9
 本書は、成績の良い子には認知能力、非認知能力、メタ認知能力の三つが備わっているとし、これを身につける方法を解説する。このような「学ぶ力」が身についていないと潜在能力の大部分が埋もれたままになってしまうと言う。
 著者は、勉強ができる子はメタ認知(自分自身の認知活動についての認知)ができていると言う。勉強するという認知活動を振り返り、その現状をモニターすることにより、問題点を把握する。学習内容に関して、自分はちゃんと理解できているか、どこかでつまずいていないか、よくわからなかったのはどこかなどと振り返ったり、問題を解いている際にも、自分は今どんな解法を用いているか、それはこの問題に有効だろうか、他に方法はないだろうかなどと振り返りつつ取り組んだり、間違った際には、自分の手順のどこがまずかったか、何を思ってそういう間違いに至ったか、自分はどういう間違いをしやすいかなどと振り返ったりするメタ認知能力が重要だと言う。
 しかし、著者は、学校の先生も親もこのような「自己管理力」を鍛えられないと言う。そして、読書の効用に期待を寄せる。だが、評者は考える。自己客観視や自己教育力の育成は教育の不可避な普遍的課題である。学校・家庭・地域は子どもたちの自己教育力をどう育てるのか。そのためには、非認知能力、メタ認知能力を抽象的にではなく、必要な具体的能力に基づく構造として可視化することが必要だろう。



書評







 本書は、成績の良い子には認知能力、非認知能力、メタ認知能力の三つが備わっているとし、それらはどうやったら身につくのかを解説している。そこで重視されているのが、「学ぶ力」である。知能がそのまま学業成績に直結しているわけではない。「学ぶ力」が身についていないと潜在能力の大部分が埋もれたままになってしまうと言う。ここでの「学ぶ力」とは、知的能力を意味する認知能力、最近教育界で注目されている非認知能力(意欲や忍耐力といった数値に表せない力)、これから注目されるであろうメタ認知能力(自分の認知活動を客観的にとらえる力)の三つの力のことである。
 著者は言う。非認知能力のひとつである自分の気持ちをコントロールする力が、いきなり身につくわけではない。そこで問われるのがメタ認知能力である。ここの文脈で言えば、モチベーションを高める方法を知っているかどうかである。自分の心の中にやる気を燃やすコツを心得ているかどうかということである。モチベーションを高めるためには、自己責任性を意識することが必要である。何かにつけて自分自身のせいにする習性を身につけている人のことを内的統制型という。これは、自己責任性の高さと重なる概念である。それに対して、後者のように何かにつけて自分以外の要因のせいにする習性を身につけている人のことを外的統制型という。一般に、外的統制型よりも内的統制型の方が、勉強でもスポーツでも仕事でも成績が良いことがわかっている。成功や失敗の原因を自分自身の内的要因のせいにする方が、うまくいったときには自信になり、モチベーションが上がるだろうし、うまくいかなかったときにはどこがいけなかったかと振り返り、よりいっそう工夫をするようになると考えれば、これは当然のことと言える。
 心理学者のワイナーは、自分自身の内的要因を、安定的な要因と変動的な要因に分け、安定的な要因として能力、変動的な要因として努力をあげた。そして、成功したときはどちらの要因のせいにしてもよいが、失敗したときに努力不足という変動的な要因のせいにすればモチベーションを高く維持できるのに対して、能力不足という安定的な要因のせいにするとモチベーションを下げてしまうとした。ここで着目してほしいのは、努力不足を解消するのは比較的容易だが、能力不足となると容易には解消できないという点だ。失敗したときに、「自分は能力がないんだ」と自分自身の内的かつ安定的な要因のせいにしてしまうと、能力というのは急に改善できるものではないため、そう簡単にうまくいくわけないと悲観的にならざるを得ない。そこでモチベーションが下がってしまう。一方、失敗したときに、「自分の努力が足りなかったんだ」と自分自身の内的かつ変動的な要因のせいにした場合は、つぎはもうちょっと頑張ればうまくいくかもしれないといった希望がもてる。そうするとモチベーションを下げずにすむし、むしろモチベーションを上げることさえできる。実際に調査データをみても、失敗を能力不足のせいにする子はモチベーションが低く成績も悪いのに対して、失敗を努力不足のせいにする子はモチベーションが高く成績も良いことがわかっている。
 モチベーションを左右する要因として目標の持ち方もある。そこで参考になるのは、心理学者ドゥウェックの達成目標理論である。ドゥウェックは、達成目標、つまり達成すべき目標には、業績目標と学習目標の二種類があるという。業績目標というのは、成果を出すことで自分の能力を肯定的に評価されたい、あるいは否定的に評価されたくないという目標のことである。学習目標というのは、物事をより深く理解することで、自分の能力を高めようという目標のことである。いわば、業績目標をもつタイプは自分の能力の評価や結果にこだわり、学習目標をもつタイプは自分の能力向上や成長を求める。たとえば数学で新しい公式について学ぶ場合、業績目標をもつタイプは、良い成績を取りたいという思いが強いため、どうしてそうなるのかがわからなくても、公式をそのまま覚え、例題や練習問題で手っ取り早く使えるようにしようとする。いわば実践的なテクニックを身につけようとする。良い成績を取るのが目標なので、基本事項しか試験に出ないとわかれば、応用問題や難問にあえてチャレンジしようとは思わない。成績につながらない勉強にはあまり興味がない。また、結果にこだわるため、「できなかったら格好悪い」「みっともない姿をさらすわけにはいかない」と守りの姿勢に入り、何かと消極的になりがちである。同じような状況で、学習目標をもつタイプは、ただ公式を覚えて使えればいいというわけにはいかない。数学の理論についてきちんと理解したいという思いが強いため、どうしてそうなるのかを自分なりに理解しようとし、よくわからないまま覚えたり、使ったりすることには抵抗がある。また、もっとわかりたい、できるようになりたいという思いが強いため、試験に出るかどうかに関係なく、応用問題や難問にもチャレンジしようとする。結果よりも力をつけることにこだわるため、できそうにない難しい課題に挑戦することも厭わない。こうしてみると、学習目標をもつ方が伸びる可能性が高いと考えられるので、勉強をする際には業績目標よりも学習目標をもつように意識することが大切だと言える。失敗したときや思うように成績が伸びない厳しい状況に置かれたときも、周囲からの評価を気にして萎縮しがちな業績目標をもつタイプと違って、学習目標をもつタイプは、もっとわかりたいという思いが強く、意欲をもって粘り続けることができる。
 また、集中力というのも非認知能力の一種だが、これを必要に応じて十分発揮できるかどうかに成果は大きく左右される。集中力を高めるには、何かに思い切り没頭する経験を重ねるのが有効である。本に親しむのは大事なことである。スマートフォンの弊害についてはよく耳にすると思うが、スマートフォンの使用が集中力を失わせるだけでなく、たとえ使わなくてもスマートフォンが目につくところにあるだけでも気が散りやすく、成績が悪くなることが、課題に取り組ませる実験で証明されている。
 何らかの知的な課題を遂行中には頭の中で情報処理が行われているわけだが、そのような記憶の働きをワーキングメモリという。ワーキングメモリは、国語や算数などの成績と関係することから、学習能力の基礎となっているとみなすことができる。勉強をしているときに、テレビの音声や家族の話し声など、意味のある音が聞こえていると、無意識のうちに注意力の一部がそちらに向いてしまい、ワーキングメモリの一部がそれに費やされ、集中的に勉強に振り向けることができない。家では勉強に集中できないという人もいる。その場合は、図書館で勉強するという手もある。これは、社会的促進効果を狙ったものだ。社会的促進というのは、傍らで同じ作業をしている他者がいる方がひとりで作業するよりも能率が上がるなど、他者の存在が作業の促進や成績の向上につながることを指す。社会的促進は人間以外の生物にもみられ、生物に共通にみられる現象と言ってもよい。図書館に行けば、周りの席の人たちが勉強や読書に集中している。 そんな中に交じると、自然と集中力が高まるものである。
 レジリエンスを高めるように意識する。人生に逆境や挫折はつきものである。勉強に限らず、部活でも習い事でも、将来の仕事でも、成果を出していくには、困難に負けずに粘り続けることが求められる。そこで大切なのが諦めない心、言い換えれば逆境に負けずに前向きに人生を切り開いていく力である。そうした力は心理学の領域ではレジリエンスとして研究が行われてきた。レジリエンスの研究は、逆境に強い人と弱い人がいるが、その違いはどこにあるのかという疑問に発している。レジリエンスとは、元々は物理学的には弾力、生態学的には復元力をさすものであり、心理学的には回復力、立ち直る力を意味する。なかなか思い通りの結果が出ないとき、あるいは必死に頑張ったのにうまくいかなかったときなど、だれでも落ち込むものだが、そこからすぐに立ち直り前向きの気持ちになれるタイプと、いつまでも引きずるタイプがいる。前者がレジリエンスの高いタイプ、後者がレジリエンスの低いタイプだ。
 レジリエンスの高さに関係する個人の特性については、さまざまな研究成果が報告されているが、それらを総合すると、レジリエンスが高い人は、つぎのような性質を身につけていると考えられる。
1自己肯定感が高く自己受容ができている
2楽観的で未来を信頼している
3忍耐強く、意志が強い
4感情をコントロールする力がある
6好奇心が強く、意欲的
6創造的で洞察力がある
7社交的で、他者を信頼している
8責任感があり、自律的
9柔軟性がある
 思いがけない窮地に追い込まれたとき、「大変だ」「こんなの、もう嫌だ」「なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ」などと感情反応ばかりしていても先に進めない。そこで必要なのは、「さて、どうしたらいいんだろう」「とにかく今できることからしていかないと」といった認知反応である。
 挽回。失敗をして叱られたとき、「もうダメだ、見捨てられる」「またやらかしちゃった、ほんとに自分はダメだな」と感情反応に陥っていては気持ちが落ち込むばかりだが、こりゃまずい。何とか挽回しないと」「同じ失敗を繰り返さないように注意しよう」というように冷静な認知反応ができれば、落ち込むよりも失敗を糧にしてパワーアップすることができる。
 人から嫌なことを言われたとき、「なんであんなことを言うんだ、ほんとに嫌らしい」「頭に来た、もうやってられないよ」「何、あの態度、許せない」などと感情反応に陥ってしまうと、人間関係をこじらせるだけでなく、前向きの気分になれない。それに対して、「ああいう人だから仕方ないな」「どういうことなんだろう」「虫の居所でも悪かったのかな」というように感情的にならずに冷静な認知反応ができれば、人間関係を無難にこなせるし、ネガティブな気分に陥ることもない。
 このように、何かにつけて感情反応をする人は、嘆いたり動揺したりするばかりで、建設的な方向になかなか歩み出すことができない。一方、認知反応をする人は、たとえ一時的な動揺はあっても、気持ちを切り替えて、建設的な方向に歩み出すことができる。それがレジリエンスの高さにつながる。そこを踏まえておき、感情反応でなく認知反応をするように心の習慣をつくっていくことが大切である。
 もうひとつ大切なのは適度に自分を追い込むことである。レジリエンスの高い人は、何らかの逆境を乗り越えた経験をもつものである。逆境に追い込まれ、立ちはだかる壁を何とか乗り越えようと必死にもがくことでレジリエンスが鍛えられる。最近は厳しさを虐待とかパワハラと混同する風潮があり、親も学校の先生も子どもたちが厳しい状況に陥らないように過保護になりがちである。過保護な環境に守られて挫折せずに順調に来た人は、レジリエンスが鍛えられていないため、頑張っても思うような成果が出ないといった厳しい状況に耐えられず、心が折れてしまうといったことになりがちである。そこで大切なのが、少しずつ挫折を経験すること、そのために厳しい状況に自分を追い込むことである。子ども時代に強いストレスを経験するとレジリエンスが低くなると言われることがある。でも、その根拠となるデータをみると、強いストレスというのがいじめや虐待という非常に極端なものになっている。ここでいう挫折経験とか厳しい状況を乗り越える経験というのは、いじめや虐待というようなものではなく、頑張ってもなかなか思うような結果につながらないような状況を指している。
 人間を使った実験はなかなかできないが、リスザルを使った一連の実験では、段階的にストレスにさらされることによってレジリエンスが高まることや、幼児期に軽いストレスにさらされたリスザルの方がストレスのなかったリスザルよりも青年期になってから好奇心は強く、レジリエンスも高いことが確認されている。
 こうしてみると、レジリエンスを高めるには、あえて厳しい環境に身を置くことも必要だとわかる負荷をかけることで力がつき、ストレス耐性が高まるので、多少は無理しないと達成できない目標に向けて頑張ってみるとか、ちょっと無理をすることを心がけるのがレジリエンスを高めるコツと言ってよいだろう。
 「無理しなくていい」「こうすればラクできる」「頑張らなくていい」といった安易なメッセージが世の中に溢れている。だが、これらは無理をして頑張りすぎて心が疲れ切ってしまった人に向けての救いのメッセージである。人間というのは弱いもので、そのような安易なメッセージが目に飛び込んでくると、「えっ、無理しなくていいの?」「ラクをしていいんだ」「頑張らなくてもいいんだ」などと、悪魔の囁きに惹きつけられてしまいがちである。しかし、実際それでうまくいくことは稀だ。
 勉強でも何でも、がむしゃらに取り組むことで、必要な能力が徐々に開発されていく。適性というのは、がむしゃらな取り組み姿勢によってつくられていくものだ。追い込まれれば追い込まれるほど能力は開発され、取り組んでいる物事への適性が増していく。必死にならないといけないような状況に追い込まれると、総力を結集してがむしゃらに動くしかない。いわば限界への挑戦によって、潜在能力が引き出されるのである。無理をしなければ、それまでの能力で足りるわけだから、潜在能力は開発されない。今の能力のままではなかなかうまくいかず、負荷がかかるからこそ、潜在能力が引き出されるのである。それは筋トレのメカニズムと同じだ。心も無理をするからこそ、多少無理にへこたれない強い心に鍛えられていくのである。
 自分の学習スタイルをモニターしているか。勉強ができる子はメタ認知ができている。自分自身の認知活動についての認知がメタ認知である。勉強に関して言えば、勉強するという認知活動を振り返り、その現状をモニターすることにより、問題点を把握するのがメタ認知の働きと言える。たとえば、学習内容に関して、自分はちゃんと理解できているか、どこかでつまずいていないか、よくわからなかったのはどこかなどと振り返ったり、問題を解いている際にも、自分は今どんな解法を用いているか、それはこの問題に有効だろうか、他に方法はないだろうかなどと振り返りつつ取り組んだり、間違った際には、自分の手順のどこがまずかったか、何を思ってそういう間違いに至ったか、自分はどういう間違いをしやすいかなどと振り返ったりするのがメタ認知である。
 このような学習法についてのメタ認知的知識を頭に刻んでおくことで、同じく勉強するにしても、より有効な学習にしていくことができる。たとえ知的能力で劣っていても、メタ認知的知識を十分にもっていれば問題解決能力が高いというように、メタ認知的知識の有効性を実証した研究もあり、メタ認知的知識を十分にもつことは、学力を高めるための有力な武器になる。このようなリストを見て、自分があまりできていないことに気づき、ショックを受ける人もいるだろう。でも、こうしたメタ認知を十分活用できている人などそういるものではない。そこで大事なのは、感情反応より認知反応を心がけるように自分に言いきかせることだ。そして、このリストの中で自分が今からすぐに取り入れられそうなものを選び、少しずつ自分の学習法をより効果的なものに改善していくことで、理解が深まり成績も伸びていくはずである。
第四章 読書と学力は密接に結びついている
 読書の効用とワクワク感。読書と学力は密接に結びついている。建築家の安藤忠雄は、子どもたちと本との出会いの場を増やしたいといった思いのもと、親子で本を楽しめる施設「こども本の森」の建築に精力的に取り組んでいる。「こどもは未来の宝。そしてこどもの心の成長のための一番の栄養が本です。こども時代の読書で、好奇心や想像力を育むことが大切です。私も若い頃、本を読むことで、建築家への夢と希望を膨らませました」という安藤は、「これからの時代は変化が大きく、何が起こるかわかりません。どんな状況に直面しても、自分の頭で考え、未来を切り開いていく力が必要です。そのためにも、こども時代にたくさんの本を読み、様々な文化に触れ、知的体力を養っておくことが大事です」と、読書の大切さを説く(朝日新聞、二〇二一年二月六日付)。大学生が本をまったく読まなくなったと言われるが、そこには大きな個人差があるのだ。





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