「若者論のトレンド:若者理解のための図書コーナー」のうち、『週刊教育情報資料』に掲載された私の書評を、テキスト形式でリストアップしました。 CTRL+ と F キーでキーワード検索など、自由に活用してください。 検索の手がかりにご利用ください。全文検索

Google
WWW を検索 mito3.jp/syohyou/ を検索
No 書評掲載
年月日
図書名 書評PDF/HTM 要旨
117 2023/7/3 葛原祥太『「けテぶれ」授業革命! 子どもが自立した学習者に変わる!』学陽書房、2023/3/6 4540.html けテぶれとは「計画・テスト・分析・練習」のことで、そのことによって、子ども自身が自分で学びを計画・実行して学びのPDCAを回し、自分なりの学び方を獲得していく。そこでは、教師は、語ることとともに、問うことが必要だと言う。これは「放任」ということではない。それどころか、教師が目的、目標、手段に関する情報を子どもたちに与える必要があると言う。不透明な時代ではあるが、学習者の自主性を尊重する教育のためにこそ、授業や宿題の提示において、適切な目的、目標、手段に関する情報提供が必要であること、そしてその内容を明確に示す貴重な提言と評者は受け止めた。
116 2023/6/5 古屋星斗『ゆるい職場-若者の不安の知られざる理由』中公新書ラクレ、2022/12/8 4520.html ゆるい職場の時代には、若手の職場外での活動が増え、かつそのキャリア形成における重要性が高まる可能性が高いので、職場外での活動を取り込んでいく動きも盛んになると言う。この結果として、「ひとりの若者が様々な場で経験を得て、様々な場でその経験を活かす。ある経験が別の経験を豊かにする」と言う。そのため、若手の社外活動を積極的に応援し、成長を促すとともに、会社に対する気持ちをポジティブにしていき、辞めたとしても退職者やプロジェクトで自社に参画してもらい、ゆるやかにつながるよう著者は提言する。
115 2023/4/24 朝比奈なを『進路格差 <つまずく生徒>の困難と支援に向き合う』朝日新書、2022/11/11 4500.html 政治家も企業も世論も、学校で習うことは社会では役に立たないと言いつつ、「教育困難」と言われる学校や若者が格差のしわ寄せであることを忘れて、結局、今の学校制度で「成績が良い」ことだけを良しとする風潮があると評者は感じる。学校で習うことは、社会では直接的には役に立たないことも含めて人間として大切なことであり、また、格差のなかでも、「教育困難」と言われる若者が充実した進路に進めるように「個別最適」な支援をすることは、教育としての大切な営みであろう。
114 2023/3/27 池上惇,池田清,金井萬造『「ふるさと創生」学びと結(ゆい)開拓者精神の復権−京都 神戸 遠野・住田からの問いかけ』社会評論社、2022/11/17 4490.html 本書は、京都の市民大学院と阪神・淡路大震災の被災地神戸、東日本大震災の復興を支援してきた遠野・住田の「学びあい育ちあう」交流について紹介する。これらの事例の背景には、生きる道を探し求め、生き延びる力を育んできた歴史があると言う。わが国には「困ったときはお互い様」という言葉がある。何事も補助金頼みというケインズ主義的な政府依存型発展ではなく、学びと結によって「人々が自由に考え、構想し、実践できる実験重視社会」を本書は提唱する。評者は考える。教育政策も経済政策も目新しい言葉が飛び交っている。しかし、その中身は、よく見るととくに斬新なものではない。これを追いかけるだけでなく、人々が築き上げてきた歴史的、文化的な学びと結の源泉を見出し、これを発展させることが求められている。
113 2023/2/27 高橋俊介『キャリアをつくる独学力―プロフェッショナル人材として生き抜くための50のヒント』東洋経済新報社、2022/8/26 4470.html 著者は、次のように述べる。大切なのは、近視眼的な功利性の追求ではなく、学びの楽しさや意味を感じることである。自分は学習自体を楽しんでいるのか、学習の中身に意味を感じているのか。また、正解のある問題について正解を導く「正解主義」ではなく、正解のない事象について、その都度、「私はこう思う」と自分の考えを明確にし、発信していく「自論」の力をつける学びが重要である。グローバルな環境では、ビジネスリーダー同士でも、ビジネスの話題とは関係なく、リベラルアーツの素養が求められるような会話が行われる。日本人として、少なくとも日本の歴史や文化について「自論」を語れるだけの学びが必要である。
112 2023/1/23 倉成英俊『伝説の授業採集−好奇心とクリエイティビティを引き出す』宣伝会議、2022/9/6 4440.html 倉成氏は、大人になるにつれ、自分のお金で、自分の時間で、自分の責任でやれることが増えるということは、自分の裁量が増えるわけで、自由を意味すると言う。だから、大人になるということは、面白いよと、これから大人になる若者たちに話すと言うのだ。 倉成氏の「大人の方が変わろう。面白くなれ、大人」というメッセージは、教員にとっても刺さる言葉である。自身が学びを楽しみ、楽しい授業をすることこそ、われわれの喜びとしたい。
111 2022/12/19 出口保行『犯罪心理学者が教える子どもを呪う言葉・救う言葉』SB新書、2022/8/6 4430.html 著者は、法務省の心理職としての経験から、親が「よかれと思って」していることが子どもにとってはそうではないという「ボタンのかけ違い」が問題化している場合が多いと言う。その上、親は確証バイアス(自分の信念を支持する情報ばかり集める)に陥りがちだと言う。最後に、「親のせいでこうなった」という人に対して、「それは一つの真実」としながらも、その現実を受け止めて、これからどうしたいのか、考えるしかないと言う。なお、「教師の子はグレやすい」という通説については、著者も教師の子としてそのような気持ちがあったとしつつ、中2まで父親と一緒に風呂に入り、何気なくいろいろな話をしたことが良かったと言う。
110 2022/11/21 松尾英明『不親切教師のススメ』さくら社、2022/7/22 4410.html 「親切な教師」は、自分のことは後回しにしてでも、身を削って相手のお世話をする。本書は、それとは真逆の「不親切教師」を勧める。子どもが自分でできることに対しては手出し口出しをせずに見守り、自身の時間も大切にする。そのことによって、子どもの主体性の向上と、教師の仕事の精選による負担軽減を目指す。本書がいう「不親切教師」とは、家庭等のコントロールできないところまでは踏み込まないと同時に、じつは子どもの「痛み」を知り、血の通った配慮をしている教師なのだと評者は感じた。教師への評価が、過剰な親切にではなく、このような適切な「配慮」に対して行われるよう評者は望むものである。
109 2022/10/17 おおたとしまさ『ルポ名門校 ―「進学校」との違いは何か?』ちくま新書、2022/4/7 4400.html ほとんどの名門校で教養主義を謳っている。何か特定の目的のためにすぐに使えるスキルを身につけることを目的とするのではなく、全人格的な能力の増幅、視野の拡大、思考の深化を教育の目標に掲げている。また、名門校では、教育の過程で共同体意識も涵養されると言う。良いものは、独り占めするのではなくみんなで分け合ってこそ自分自身も含めた全体が豊かになれることに気づく。卒業生が社会に出て活躍し、それまで蓄えてきた力を、社会に還元でき、自分の行動に誇りを感じられるようになったとき、初めて母校の教えの意味が実感できると言うのだ。
108 2022/9/19 牧野篤編『社会教育新論−「学び」を再定位する』ミネルヴァ書房、2022/4/12 4380.html 社会教育の基盤は、住民相互の「学び」だと言う。このとき、「学び」とは、いわゆる知識を得ることに留まらない。人々が互いを認めあい、関係をつくることを通して、社会をつくり、経営することで改めて自分の存在を社会の中に認め、自分が他者とともに生きていることを実感し、うれしさを感じる。しかし、学校の画一性が問い直されることのないまま進められる地域との連携・協働は、地域ぐるみでの子どもの「監視」や、学力や生活態度への「管理」へと向かう傾向があると本書は警告する。いまこそ、「監視」や「管理」ではなく、「教育」としての専門的見地から、「開かれた学校」において発言することが教師に求められていると評者は考える。
107 2022/8/8 市川力,井庭崇『ジェネレーター〜学びと活動の生成』学事出版、2022/3/10 4370.html ジェネレーターは、みんながどんな考えでも出せるように、あるいは違うアプローチに気づくようになるための迂回路としてトリックスター(道化)的にふるまうと言う。時には正論を示し、また時にはトリックスターとなるジェネレーターとしての教師は、学生に対して強烈な影響を与える。ワークショップなどの場合、教師でも「教える」という枠組みから自由になって、ジェネレーターのように子どもたちのワークに「巻き込まれてみる」ことも、新しい価値の生成にとって有効なときもあるのだろうと評者は思う。
106 2022/7/11 工藤与志文,進藤聡彦,麻柄啓一『思考力を育む「知識操作」の心理学−活用力・問題解決力を高める「知識変形」の方法』新曜社、2022/2/17 4360.html 種子植物の花から種子ができるという「ルール」については習っているのに、「チューリップには種ができるか」という問いには、半数以上の子どもが正しく答えられない。ルールのような一般化された知識を学習しても、個々の課題が持っている特徴に違いがあるために、課題の特徴に応じて異なる知識を使ったり、異なる思考様式で対処したりしてしまう(認知の領域固有性)からである。本書は、代入操作、変数操作、関係操作、象徴操作などの「知識操作」を教えることによって、思考力、応用力を身につけさせようとする。そして、「理解のための知識」から「思考のための知識」へと転換させることによって、学校での「学び」を揺さぶり、面白くしようと提案する。
105 2022/6/13 苫野一徳『学問としての教育学』日本評論社、2022/2/14 4350.html 著者は、教育の目的の本質を、個人自らが〈自由〉になるための育成を保障しつつ、お互いが自由を相互承認する社会を実現するものだと言う。本書は、「哲学部門」「実証部門」「実践部門」の3部門の研究が実現すれば、教育学は、俗に言われる二流学問どころか、きわめて高度な総合学問であり応用学問であるということになるとしている。実践部門を受け持つ教育現場でも、「教育学は役に立たない」と言うのではなく、逆に、現場に役立つ教育学の体系化に資することを評者は期待する。
104 2022/5/2 原貫太『あなたとSDGsをつなぐ「世界を正しく見る」習慣』KADOKAWA、2021/12/16 4340.html 「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるべきだ」という言葉について、著者は、さらには、「先進国側の人間が一方的に考案した釣り方を教えるのではなく、現地の人たちの中に眠っている釣り方を引き出すためのサポートをする。川と魚がある所なら、現地の人たちは釣り方を知っているはずです。それを知らないと勝手に決めつけてしまっているのは、私たち先進国側の人間」と警告を与える。そして、魚の釣り方を「引き出すべき」と、一歩踏み込んだ提言をする。
103 2022/4/4 林恭子『ひきこもりの真実―就労より自立より大切なこと』ちくま新書、2021/12/9 4330.html 支援に対する「そんなことができるならとっくにやっている」という著者の叫びは強烈である。実態調査では当事者が求める支援として居場所がもっとも多かった。著者は、いつでも戻れる、引きこもりに限定しない居場所をつくって、誰もが安心して生きていける社会をつくるよう提言する。評者も、社会教育においては、上から就労などを押しつけるのではなく、人々のニーズに基づいて運営する必要があると考える。
102 2022/3/7 千々布敏弥『先生たちのリフレクション−主体的・対話的で深い学びに近づく、たった一つの習慣』教育開発研究所、2021/11/5 4320.html 都道府県教育委員会の施策の主たる考案者の指導主事には、他県の教育センターの研究成果を、許可なしに引用することはできないという価値観(迷信)が流布している。学習指導要領をいかに解釈するかという姿勢で研究が進められることについて、著者は儒教の教えを解釈していった訓詁学に似ていると言う。また、議員や省庁の幹部からトップダウン的に新しい施策が示されるのだが、行政官による説明が効を奏さない場面が増えていると言う。
欠番 2022/2/7 榎本博明『承認欲求に振り回される人たち』クロスメディア・パブリッシング、2021/9/22 4310.html 著者は、人は承認欲求と無縁で生きることはできないとし、これをコントロールできるようになれば、承認欲求は生きる上での強い味方になると言う。しかし、SNSの急速な発達によって、承認欲求が過剰に刺激されやすくなっていると警告する。承認欲求の適切な満たし方がわからず、それに振り回されるようになると言う。
101 2021/12/27 小塩真司『非認知能力−概念・測定と教育の可能性』北大路書房、2021/8/13 4300.html 本書が述べる「非認知能力」に関する教育の可能性とは何か。教育の立場からは、教育的価値に基づいた「教育目標」の設定が不可欠だと評者は考える。それは心理学の尺度とは異なるものである。教育現場の者にとっては、「非認知能力」といえども、教育可能な「教育目標」を設定して、その到達度を可視化することが不可欠だと考える。
100 2021/11/22 工藤勇一,鴻上尚史『学校ってなんだ!−日本の教育はなぜ息苦しいのか』2021/8/18 4290.html 工藤氏は、「自分の生きている『社会』をよりよいものに成長させていくためには、そこにいる一人一人が『社会の当事者』として成長できなければならない」と言い、そのために特に重要なことは『対話』だとする。社会から隔離されたこのような「学校の因襲」を打ち破ってチームとして「対話」を始めることこそ、まずは必要だと評者は考える。
099 2021/10/25 両角達平『若者からはじまる民主主義−スウェーデンの若者政策』2021/7/23 4270.html 4270.pdf わが国では、施設内で小さな非行があると、まずは「少なくとも施設内では」非行を排除することが求められがちだ。しかし、支援者は非行対策だけに追い回されるのではなく、若者の自治や参画、団体活動の促進という大局的な戦略を進める必要がある。
098 2021/9/27 生田周二『子ども・若者支援のパラダイムデザイン』2021/4/28 4260.html 著者は、学習支援、生活支援、就労支援など特定の分野に偏ることなく、支援をする上での「共通基礎」として備えるべき「専門的能力」の必要性を主張している。評者は、今後の学校教員にも、その専門性の発揮は「本務」の一環だと考える。「社会教育士」資格を有する教員の拡大などの潮流に期待したい。
097 2021/8/23 佐藤学『第四次産業革命と教育の未来:ポストコロナ時代のICT教育』2021/4/8 4250.html これまでのわが国の教育は、つい最近まで、ポップカルチャーやパソコンなどに傾注する子どもたちの変革力を評価できないまま、過去の価値を押しつけてきた。今後は、これを転換して多様性を確保するとともに、ICTと「深い学び」によって社会に開かれた新しい価値の創造を期待したい。
096 2021/7/19 高塚雄介『ひきこもりの理解と支援─孤立する個人・家族をいかにサポートするか』2021/03/25 4230.html 本書は、ひきこもり者にとって必要な自立とは他者に頼らないことではなく、必要なケアを広く薄く調達することだと言う。そして、皆の前で自分のことなどを話すことを求められる、いわゆるプレゼンテーションや少人数で行うグループ学習について、ひきこもりの若者たちの多くが嫌いな教育のスタイルだと言う。評者は考える。リアルな場で一人で子ども集団と対面する学校教育関係者にとっては、このような個人への対応は困難な面も多いだろう。教員以外の支援者との協働などが求められよう。同時に、個人の自立が困難な今日、教育における多様性の保証、個別最適化された学び、そしてその上での社会形成者の育成について、「わがこと」と捉え直して取り組む必要があるといえよう。
095 2021/6/21 木村絵里子, 轡田竜蔵, 牧野智和編著『場所から問う若者文化―ポストアーバン化時代の若者論』2021/03/25 4220.html 都心部に近い「若者の集まる街」が活気を失うことがあっても、若者がリアルな場所で「出会い」「つながる」こと自体を望まなくなったわけではないと本書は言う。評者は考える。教員が、バーチャルな「場所」を肯定するとしても否定するとしても、今の生徒とはズレがあることを理解しておくべきだろう。その上で、「出会い」「つながる」ウェブ空間や地域の作り手としての生徒の視野拡大を図り、新しい価値をともに創造したい。
094 2021/5/17 苅谷剛彦『コロナ後の教育へ−オックスフォードからの提唱』2020/12/09 4210.html 著者は、英国と日本を比較し、日本では大学改革を主導する政府の前提が「大学性悪説」であるのに対して、英国では大学への社会のリスペクトがあるから、大学が自由や表現の自由が保障される機関として、とりわけ人文系学問がコロナ禍での対応を冷静に相対化できる「賢い市民」を育成する役割を果たしていると言う。評者は、教育改革を時代の要請ととらえる立場だが、それでもなお、教育のローカリティと学問を尊重する社会こそ、子どもにも大人にも望ましい市民教育を実現するための基本的条件だと感じる。
093 2021/4/12 『社会基盤としての社会教育再考』2020/12/18 4180.html 「地域学校協働本部」の設置については、社会教育法において地域学校協働活動推進員が設置され、学校の中にも地域との連携を担当する教職員が置かれ、社会教育士が活躍するといった効果にul期待を著者は期待を寄せる。今までは「学校支援地域本部」といって、学校を地域が支えることを基本にしつつも、学校の中で教育課程を完結させようといってきたのだが、それでは無理になり、学校と地域が車の両輪のようになって協働しながら子どもを育てなければならなくなったと本書は説明する。評者は考える。「学校は地域の協力を得て」ではなく、「学校も地域の一員として」、新設社会教育士等とともに、地域の中での居場所の形成に貢献することが求められるようになってきたのではないか。
092 2021/3/8 朝比奈なを『教員という仕事−なぜ「ブラック化」したのか』2020/11/13 4160.html 著者は、生徒と同様に若い教員も「自分に自信を持っている」と言う。そして、「返事はするけど、アドバイスに従ってはやらない」姿勢をしばしば目にしてきたと言う。そして、「勉強はしてきているけど、人からアドバイスをもらったこと、教えてもらったことがあるのだろうか」と危惧する。本書にもある「異質であることを異常に恐れる雰囲気」が、教育改革を阻害しているのではないか。互いの個性を重んじて支え合う支持的風土をつくりだすことこそ、その閉塞感を打ち破るものと評者は考える。
091 2021/2/8 川口俊明『全国学力テストはなぜ失敗したのか―学力調査を科学する』2020/9/5 4150.html 本書は、問題のもっとも大きな要因として、「実態を把握する」という発想の欠如を指摘する。日本の教育政策は一部の関係者の「思いつき」で決定され、実行に移されることが少なくない。そして、わが国の子どもたちの学力の変化を把握できる自前の学力調査が存在しておらず、学力が、この20年で向上したのか、低下したのかといった基本的な情報すらわからないのだと言うのだ。評者は考える。このような狭い視野では、評価活動が格差の解消などの改善につながらず、教員各自が自分の目先の活動に追い回され続けることになるだろう。まずは、視野を広げて課題を俯瞰したい。
090 2021/1/8 住田昌治『「任せる」マネジメント−管理しない校長が、すごい学校組織をつくる!』2020/6/4 4140.html 教職員に対し、任せていることがいかに重要なものか、学校経営全体の中の何に影響し、それが学校経営の命運をどのように握っているのかを伝えることが必要だと言う。評者は考える。本書を、教員の真の育成を追求しようとするものととらえたい。それは、研修の形骸化、断片化を排し、「目指すビジョン」や「学校教育目標」をワークショップによって明確に意識させ、「自ら考え、主体的に行動」する教員を意図的に育てようとするものといえよう。
089 2020/12/7 出口治明『「教える」ということ−日本を救う、[尖った人]を増やすには』2020年5月1日 4130.html サービス産業モデル(アイデア勝負の仕事)で求められる人材としては、自分の頭で考え、自ら進んで行動し、新しいアイデアを生み出せる人材、尖った個性を持つ多様な人材、継続して勉強を続ける高学歴人材を挙げる。そして、これからの日本の教育は、常識を疑い根底から考える力と生涯学ぶ意欲を強く持った個性豊かな若者を輩出することが急務だと言う。評者は、そのとき、学校が旧態依然とした「製造業の工場モデル」をイメージしているとしたら、教育と現実社会とのあいだに大きなギャップが生ずると考える。
088 2020/12/1 牧野篤「社会教育の再設計−生活の基盤としての社会教育・公民館」を読む2020年6月1日 4130.html 牧野は、社会教育法を、禁止事項が少ないとても緩い法律であり、「権力の介入をできるだけ避けて、住民が自分たちでやっていくようにしなさいねという法律になっている」と評価する。これまでは、社会教育法が「奨励義務」という「緩い」記述になっていることに対して、義務教育の記述との違いと比べて不満を述べる社会教育関係者もいたが、牧野のこのような評価こそが、社会教育の良さを理解した者の発言と考えるべきだろう。
087 2020/11/2 竹村詠美『新・エリート教育 混沌を生き抜くためにつかみたい力とは?』2020年7月23日 4090.html いわゆる難関大学への進学だけを最大目標に掲げる教育から脱皮し、子どもたち一人一人が、「自分を知り、多様な他者の視点に共感する力を身につけて、自分なりの方法で社会に貢献する」という普遍的な人間力を育てるのが新・エリート教育の肝であると著者は言う。過去の競争主義的な「エリート教育」は通用しなくなっていると評者は感じた。
086 2020/10/5 森和夫『実践 現場の能力管理: 生産性が向上する人材育成マネジメント』2020年8月21日 4080.html  評者は考える。本書で主張するような「能力開発を効果的に進め、結果として対象者の能力を発揮できるような環境を整える」という経営目的を鮮明にすることが必要である。とくに若手教員は、暗黙知を含めて知りたい、目標とすべきキャリアパスに沿ったラダーごとの必要能力を示してほしいと思っているのではないか。このような今日の教員の求めに対して、各教育現場における展望と方法を示すことは、管理者としての楽しい使命だと評者は考える。
085 2020/9/7 白水始『対話力―仲間との対話から学ぶ授業をデザインする』2020年5月18日 4070.html  対話は、ソクラテス以来、教育の原点である。ただし、そのゴールは、問題解決による完結型ではなく、著者が言うような新たな疑問が生まれるという発展型であるところに本質があると言えよう。さらに、対話による「建設的相互作用」によって、新たな価値が創造されるということに、第二の本質があると考えられる。アクティブラーニングのおおもとには、「同質同士の競争」を超えたこのような自己内と対他者の対話による「異質同士の共生」と価値創造があるのだと評者は考えたい。
084 2020/7/27 妹尾昌俊『教師崩壊ー先生の数が足りない、質も危ない』2020年5月12日 4060.html 本書は、教師の4割は月1冊も本を読まない、毎年5000人が精神疾患で休職などの日本の教師の危機的状況を「ティーチャーズ・クライシス」と題して解説する。評者は考える。教員採用は、これまでのペーパーテスト重視から、「生きる力」や「社会性」重視に移行しつつある。だが、それが「大きい声で挨拶できる」など、本質から外れたところに走ってしまった感がある。挨拶一つでも、生徒に心が届くようなやり方を追求するゆとりを持ちたいものだ。しかし、それにしても、「学ばない教師」についてはどうにかしたい。「学びたい人」からしか、生徒は「学びたい」とは思えないだろう。「良い授業をするため」という矮小な義務感を超えて、「学びたいから学ぶ」という生涯学習の本質から楽しく自己を充実する余裕を確保したいものである。
083 2020/6/22 下村英雄『社会正義のキャリア支援−個人の支援から個を取り巻く社会に広がる支援へ』2020年1月30日 4050.html  著者は、「一人一人の支援をしているだけでは、とても乗り越えられない壁がある」と言う。多様で多文化な個人の特徴や属性を尊重する面は重要であるが、この個人尊重、個人重視の論理では、個人を結びつけ、統合し、協力するという考え方は生まれてこないと指摘する。そして、「少数派の周辺的な文化の尊重するという価値」を普遍的な価値、社会全体の理想、目標として掲げるよう提唱する。
082 2020/5/25 池上彰『なんのために学ぶのか』2020年3月6日 4040.html  「なんのために学ぶのか」という問いは子どもたちの真剣な問いだ。しかし、著者は「勉強が好きじゃなくてもいい。面白いことが一つあればいい」と答える。同時に「すべての勉強は必ず役に立つ」と断言する。ただし、それは、すぐに役立つという意味ではなく、リベラルアーツ、教養として役立つという意味としてである。池上氏のこのようなのびのびした楽天的な答えは魅力的である。
081 2020/4/20 石井洋二郎『危機に立つ東大』2020年1月7日 4030.html  評者は、筆者の主張する「知的興奮と感動」の魅力に共鳴しつつも、その場を大学だけに求めることに違和感を覚える。過去の「学校歴社会」の頂点にあったものが東大である。しかし、人の生涯にわたる進展と充実が重視される「学習社会」にあっては、頂点の東大を卒業しても、「賞味期限」はせいぜい3年程度といえよう。それ以降は、「学校歴」はどうあれ、「泳ぎ回り」も含めて、科学知と人文知のスコレーとフォーラムのなかで個人の人生が充実し、社会形成者として充実を図れるかどうかこそが問われるべきであろう。
080 2020/3/16 高橋和巳『精神科医が教える聴く技術』2019年12月6日 4020.txt  最近、評者には、若者たちを社会化させようとする性急な動きが目につく。しかし、教育の根幹的機能は、人の自己洞察を促し、深めることである。教師と若者が語り続け、ともに「個」を深める中で、深い個人と望ましい社会が形成されるのだと考えたい。
079 2020/2/17 加藤諦三『どんなことからも立ち直れる人−逆境をはね返す力「レジリエンス」の獲得法』2019年11月16日 4010.pdf  評者は、若者の居場所の中で、いっとき「絶望の淵」にも立ち、それでもなお真摯に生きる若者に出会ってきた。そういう若者との出会いは、一般青年にとっても、通常の人間関係以上の意味をもつ。学校教育においても、愛他主義的仲間関係のある居場所において、いつもの人間関係とは異なる他者との出会いのなかで主体性を育めるよう、子どもたちを支援する必要がある。
078 2020/1/20 工藤勇一『麹町中学校の型破り校長−非常識な教え』2019年09月06日 4000.pdf 本書は、「ルールを守らせることに必死な大人」に警告を発する。学校だけで通用させている「常識」が、社会的には「あまりにくだらないこと」でしかないという結果にならぬよう十分注意したいものだと評者も考える。
077 2019/12/9 居場所カフェ立ち上げプロジェクト『学校に居場所カフェをつくろう! -生きづらさを抱える高校生への寄り添い型支援』2019年8月10日 3980.pdf  教師とは違う人々と触れ合う。その機能について、「安全・安心」の居場所、「ソーシャルワーク」の契機、「多様な文化の提供」の3つを挙げる。このように、「学校の役割の多様化」、「多様な大人たちとの出会い」、「地域の交流の場の提供」という課題の重要性を、校内カフェは示唆していると評者は考える。
076 2019/12/9 リヒテルズ直子『今こそ日本の学校に!イエナプラン実践ガイドブック』2019年8月30日 3980.pdf  保護者については、子どもと同様に、対話・遊び・仕事・催しを通して、学校参加が促されると言う。本書の言を借りれば、学校が、地域の人々も含めた「生と学びの共同体」になることこそ、学社融合の今後の姿なのだろうと評者は考える。
075 2019/10/14 小巻亜矢『サンリオピューロランドの人づくり』2019年7月18日 3970.pdf  著者は、社長からダメ出しされた事業を、部下が進んで作業したデータ収集などに支えられ、「やんわりと」社長を説得した。このようなプロセスを経て「みんながお互いを思いやり、会社の状況を把握し、できることを自分で考える」というチームに育ったと言う。評者は、学校管理職としても、うまくいかないときこそ、教職員に自ら考えさせ、「チームとしての学校」を実現する方向で教職員を導くことが大切であり、このことこそ、今後の学校経営にとっては、重要なリーダーシップといえるのだと考える。
074 2019/9/9 『Appleのデジタル教育』2019年9月9日 3960.pdf  評者は、心なき一部の教師が、テクノロジーを先行させて「訓練の繰り返しツール」にしてしまったり、テクノロジーに苦手意識を持つ一部の教師が導入を妨げたりして、結局、今後の社会に希望を与える教育の可能性を台無しにしてしまうことを恐れる。プロジェクト型学習をリワイヤリングして、テクノロジーを組み込むことによって、本書が言うような生徒の裁量を一層に推し進めたより自由なチャレンジ型学習を実現したいと考える。
073 2019/8/5 土井隆義「「宿命」を生きる若者たち: 格差と幸福をつなぐもの」2019年6月6日 3950.pdf  筆者の言を借りれば、若かりし頃に成長社会を体験したベテランの教師にとって、当時の社会で培われた期待水準の高さは、たとえ社会状況が大きく変わってもなかなか拭い去ることができない。そのような中高年特有の高い期待水準を押し付けてはいけない。若者の今の強みを生かした指導こそが重要だと本書は教えてくれる。
072 2019/7/1 桝田智彦『親から始まるひきこもり回復−心理学が導く奇跡を起こす5つのプロセス』2019年4月4日 3940.pdf  評者は考える。社会の一員を育てようとする学校教育の立場からは、親子の愛着行動による解決を望めないケースもあるだろう。視野が狭く、世間体ばかり考えて、結局わが子を追い詰めてしまう親も少なくない。社会教育による保護者の社会的視野の拡大や、ときには親から生徒を守るという社会的養護の視点が求められよう。ただし、社会化支援と同時に、本書のいう個人ケアの視点を忘れてはいけない。
071 2019/6/3 苫野一徳『「学校」をつくり直す』2019年3月19日 3930.pdf  評者は考える。今後、教職に就く若者が、「言われたことを言われた通りに」という受け身の姿勢から、「自分はどう生きたいのか」という姿勢に転換し、目的意識に基づいて主体的に教職を追究できるようにすることこそ、スタンダードやエビデンスの前提として必要なのだろう。
070 2019/4/22 近藤克則『研究の育て方』2018年10月22日 3910.pdf  評者は考える。教師にとって、現場ならでは、そして自分ならではの仮説を持ち、研究を深めることは、義務であり、喜びといえよう。なかには、教職大学院でさらに研究を深めようとする教師もいるだろう。そのときに大切なことは、「勉強したい」という気持ちを昇華させて、「自らの教育実践に基づく世界で唯一の仮説を検証する」というレベルにシフトさせることではないか。教師が一人一学説を携えて、交流し、議論し、キャリアアップできる環境を実現したい。
069 2019/3/25 高橋孝雄著『小児科医のぼくが伝えたい最高の子育て』2018年9月6日 3900.pdf  評者は考える。教育の側から今の親を批判したり、絶望したりするだけでは、問題は解決しない。自己肯定感を持てず、ときには、人生の大切なワンシーンである子育ての時期に、抑うつ状態にさえ陥る親の悩みを受け止め、「親は子どもの才能が花開くのを温かく見守るだけでよい」というメッセージを伝えることこそ、重要なのだろう。そして、個人完結型の子育てから、社会的な育児参加を進め、誰もが「子ども時代の宝物」を大切にする豊かな文化をもつことができるよう支援することこそ求められていると考えたい。
068 2019/2/25 東京大学大学経営・政策コース(編集)『大学経営・政策入門』2018年9月11日 3890.pdf 評者は考える。すでに多くの関連図書が発行され、大学側の表面的なPRに惑わされず、新卒時ではなく卒業3年後の就職状況や、ワークショップ型の教育改善活動が生き生きと行われてるかなどを知ろうとする生徒や親が増えている。このような状況において、大学の大衆化を否定する根拠のない物言いに惑わされず、さらに、3つのポリシーに基づく教育課程の体系化にかけた本気度、現実性を推し測るような判断力がわれわれの進学指導に求められているのだと考えたい。それは、生徒や親のレベルアップしたニーズをさらに上回る確かな専門性といえよう。
067 2019/1/28 安藤寿康『なぜヒトは学ぶのか』2018年9月19日 3880.pdf 評者は考える。われわれも、親や子の表層的ニーズに振り回され、学業成績だけに追い回されがちである。しかし、本当の教育の目的は、人格の完成とともに、利他的行動や社会形成のための能力を育成することにある。学校教育の視野を、学校外教育等の横にも広げ、生徒の卒業後の充実等の縦にも広げて、生涯学習社会の中での学校独自の役割を再確認すべきではないか。
066 2018/12/17 樺沢紫苑『学びを結果に変えるアウトプット大全』2018年8月3日 3870.pdf 評者は、最近強調されている「社会で役立つコミュニケーション力」と、この本の「自己成長に役立つアウトプット」との間に、微妙な差異を感じる。前者は、競争社会の生き残り手段、後者は相互関与による「学び合い支え合い」を表していると言ったら言い過ぎだろうか。前者の「コミュ力圧力」によって、若者がすりこぎのように自らをすり減らしているような気がする。教育においては、楽しい充電につながるような「支え合う放電」を追求したいと思う。
065 2018/11/19 事業構想大学院大学出版部編『SDGsの基礎』2018年9月3日 3860.pdf 評者は、就職や起業において、自らの職業が、人類や地球の存続にも貢献するという夢のある職業観を持てる若者は、一部のエリートに限られてしまうのではないかと危惧する。格差の拡大と不正の横行のなか、多くの若者は、仕事に夢を持てずにいるように思える。われわれの教育活動においては、若者が自らの存在の社会的意義を確認し、「社会的視野の拡大と自己の位置決め」に基づいて自己決定ができるよう支援するものでありたい。
064 2018/10/15 池上彰『知の越境法−「質問力」を磨く』2018/6/13 3830.pdf 評者は、同書の言う「質問力」について、インタビューによる暗黙知可視化手法との共通点を多く見出す。池上氏の言う「一見役に立たないと思うこと」でも疑問を持つことで知識が拡がる。これはすぐに陳腐化する「すぐに役立つもの」と対照的だ。そして、狙いは定めておくものの、そこで発生する偶然の果実は取りこぼさないという「ゆるやかな演繹法」が、インタビューのポイントになる。教育も、このような既定の解答のないことを追求する「質問力」を生徒に身につけさせることが重要と言えよう。
063 2018/9/17 見田宗介『現代社会はどこに向かうか―高原の見晴らしを切り開くこと』2018/6/21 3820.pdf 同書は「一つの細胞がまず充実すると、他の一つずつの細胞が触発されて充実する」として、最後に「今ここに一つの花が開く時、すでに世界は新しい」と謳い上げる。評者は考える。教育は価値創造の活動である。研究者が細分化された検証可能な知見だけを提供してくれても、それだけでは足りないことが多い。教育の現場で試行錯誤して「新しい世界」にチャレンジする必要に迫られる。このようなとき、80歳を超えた学者の思い切った「大きな見解」の提起は、教育に携わる者にとって勇気づけられる。
062 2018/8/20 NHKスペシャル取材班『高校生ワーキングプア〜「見えない貧困」の真実』2018年2月16日 3810.pdf 同書は、定期試験期間中でもシフトを入れられてしまう「ブラックバイト」に対して、「自分がいないと店がまわらない」と考え、断れない責任感のあるまじめな生徒の例を挙げる。たしかに、学習意欲が高い生徒に対しては、解決してやりたい。だが、学習意欲がわかないまま、定期試験のみに追い回される生徒に対しては、より本質的な支援が必要と評者は考える。彼らが社会に出てから、個人として、社会人として、充実して生きていけるかどうかこそ重要であろう。彼らには、試験勉強にあくせくさせることよりも、他者と相互受容できる関係を持ったり、社会的な広い視野からものを見たり、考えたりできるような力を育むことこそ、本質的な教育目的とすべきではないだろうか。
061 2018/7/9 萩原建次郎『居場所〜生の回復と充溢のトポス』2018年3月9日 3800.pdf 神戸連続児童殺傷事件から二〇年以上たった今、評者は、多くの若者が「リア充」を志向し、「実存的な悩み」から「すり抜けて」しまっているように感じる。だが、彼らのリア充志向は「共存の作法」としては有効であっても、「生の回復と充溢」にはつながらない。このとき、学校に通っている子どもたちに対しては、居場所の一つとしての学校の役割は大きい。そこには、個人としてか、社会人としてかを超えて、充実して今を生きるプロセスをたどるための「第3の支援」が存在すると考える。話を聞いてくれる、肩を押してくれるなどの個に対応した居場所的な支援がどのように行われているか。そこには、意図と操作を保留して見守り、状況に対応する教師の「現場力」があるはずである。これを評価し、交流・蓄積することが求められているといえよう。
060 2018/6/11 日本青年心理学会企画『君の悩みに答えよう−青年心理学者と考える10代・20代のための生きるヒント』2017年12月2日 3790.pdf 「若者よ、おおいに悩むべし!」という同書のメッセージは、一部の「悩める若者」を除いた一般的な若者にどう受け止められるのだろうか。今日の時代においては、中教審が指摘した「自分探しの旅」について疑問視する「現実主義」からの批判も強い。そういうなかにあっても、教育は、今日の課題に対応したかたちでの若者の自我の確立の支援という役割を放棄することはできない。教育現場で個人に応じた解を積み上げる必要があると評者は考える。
059 2018/5/7 溝上慎一『アクティブラーニング型授業の基本形と生徒の身体性』2018年3月1日 3780.pdf AL改革の喫緊の課題は、「一方通行的な知識伝達型としての講義型を講義+AL型授業に転換すること」であり、そのことによって、主体的学習は、面白さなどの即自的な「課題依存型」から「自己調整型」、そして自身を認知する対自的な「人生型」へと深まると筆者は言う。評者は考える。ときの教育政策に振り回されて、卒業までの教育に追い回される。これでは教育は創造の楽しさを失ってしまう。学校からのトランジション後の生涯の充実を目指すとともに、二、三十年後の社会に向けた価値をともに創り出す、そこにこそ改革とALの神髄と楽しさがあると言えよう。
058 2018/4/2 新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』2018年2月2日 3760.pdf RST(読解力調査)能力値と旧帝大進学率との相関が非常に高いという結果が示される。超有名私立中高一貫校は、12歳の段階で高校3年程度の読解力のある生徒を入試でふるいにかける。そのため、教科書や問題集を「読めばわかる」のだから1年間受験勉強にいそしめば旧帝大クラスに入学できてしまうと言うのだ。同時に、12歳以降でも、スマホの使用時間などとはほとんど関係なく、読解力の向上はできると氏は言う。評者は考える。多くの若者が、読解力不足のために「楽習」を味わえない状態が続くならば、これは深刻な格差であり、社会問題と言うべきである。
057 2018/3/5 藤井青銅『日本の伝統の正体』2017年11月23日 3740.pdf 評者は考える。教育では、不確かな情報を排除することが大切である。だが、以上のような「伝統」や「モラル」に関することは、思い込みで語られたまま流通してしまうことが多いように思う。正確な年号はわからないとしても、時系列に関する大きな勘違いは、なんとか解消したいものである。
056 2018/2/5 河野真太郎『戦う姫、働く少女』2017年7月20日 3730.pdf 評者は考える。ポップカルチャーのおかげもあってか、幸福感が強い個人完結型の女子が増えている。彼女たちに過去のフェミニズムを押しつけることもあるまい。だが、社会に出て「解放されていないこと」に気づくのでは気の毒だ。ポップな楽しみをもちつつも、労働と生活をリアルに選択する力を育てる必要があろう。
055 2017/12/25 野矢茂樹 『大人のための国語ゼミ』2017年8月1日 3720.pdf 氏の主張する「普段着の文章志向」は、大人だけでなく、現代文の授業になじめない多くの若者にとってもなじみやすいのではないかと評者は思う。「いきなり海に放り込まれる」現状を是正し、氏の言うように「まずはプールで、つまり学ぶべきことのポイントが明確で、よけいな要素があまり入っていない文章、実用性の高い文章で練習」することが国語を学ぶ楽しさにつながるのだと感じる。また、氏は、分かりあうことなどできないとか、考えは人それぞれとかいうことを認めた上で、言葉の力の支えによって分かりあおうとするよう提唱する。つながり志向を持ちつつ、個人化社会を生きなければならない今の若者の心に、その言葉はすんなり入っていくのだと思う。学校教育の国語も、成人教育と同様、有用かつ楽しいものでありたい。
054 2017//11/27 小林美智子『帰宅恐怖症』2017年6月20日 3710.pdf 評者は次のように考える。「善い」目的、形式知と暗黙知の相互変換など、教育が目指すべき価値としても重視すべき提案だろう。だが、異なる価値観をもつメンバーが共存する組織・集団で目的を共有し、実現させるリーダーとしての意欲や能力はどう養えばよいのか。「管理職になりたくない」という若者や壮年が増えているなかで、今の若者のモデルたりうるリーダーの暗黙知の臨床的な追究が、若者との「横と縦の関係」による価値創造につながるに違いない。
053 2017/10/23 野中郁次郎 西原文乃 著 『イノベーションを起こす組織−革新的サービス成功の本質』2017年7月31日 3700.pdf 評者は次のように考える。「善い」目的、形式知と暗黙知の相互変換など、教育が目指すべき価値としても重視すべき提案だろう。だが、異なる価値観をもつメンバーが共存する組織・集団で目的を共有し、実現させるリーダーとしての意欲や能力はどう養えばよいのか。「管理職になりたくない」という若者や壮年が増えているなかで、今の若者のモデルたりうるリーダーの暗黙知の臨床的な追究が、若者との「横と縦の関係」による価値創造につながるに違いない。
052 2017/9/25 泉谷閑示 『仕事なんか生きがいにするな−生きる意味を再び考える』2017/1/28 3680.pdf 氏は、イソップ物語のアリとキリギリスの例を示す。わが国では、サブカルチャーにおいては世界をリードする勢いを持っているが、カルチャーそのものについては十分ではないとし、キリギリスのような、憧れるに耐える文化を生み出すことが、現代の虚無に押し潰されないために求められていると言う。評者は考える。多くの子どもたちはサブカルに走り、教師もそれを受け止めなければならない。文化は押しつけでは育たないからだ。しかし、個に応じた指導を考えるならば、生きにくさを感じながらも「実存的問い」や正統派の文化を追い求めるタイプの子どもたちに対しては、イソップ物語のアリのような「未来」だけでなく、キリギリスのような「今」の充実のための支援を検討する必要がある。
051 2017/5/15 吉光正絵・池田太臣・西原麻里編著『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学−女子たちの「新たな楽しみ」を探る−』2017/4/20 3670.pdf 永田夏来氏は、量的調査の結果から、「夏フェス女子」は、幼少期に美術館・博物館訪問やクラシック視聴を経験した者が有意に多いと言う。そして、このような「文化資本の高い女性」が、「夏フェス」での写真写りの良さと「かわいい」をネットで発信しているという。以上を、吉光氏は、「心躍る楽しみ」と表現している。 評者は考える。人には個人や社会人としての成長とは別に、そのこと自体が癒しや「心躍る楽しみ」になる時間が大切だ。それが社会における新しい価値や文化の創造につながる。しかし、そこに格差があるとすれば、教育は、貧困な子どもに対して、文化資本提供の手を差し伸べることも考えたい。
050 2017/7/17 長野雅弘著『いじめからは夢をもって逃げましょう!−「逃げる」は、恥ずかしくない「最高の戦略」−』2017/5/14 3650.pdf 評者は考える。このようなある意味「いじめ」が大いにありうる学校教育において、「いじめなどない」と強弁するのは無茶な話だ。それによって、氏が指摘するように小さないじめが摘み取られずに、重大事態に陥っていく。そして、いざことが起こると、建前的な効果のない対応が繰り返される。努力や頑張りが無駄に積み重ねられるのだ。この傾向は、今の子どもたちにも感じられる。現実社会では、自己の充実にとって有益、社会的に有用というような「効果」が問われるのに、学校では、主観的な「頑張り」が偏重される。意味のない頑張りはやめて、いじめ解消のための転校も含め、自由になって実効性のある対策をとることによって、「楽しくなければ学校じゃない」という「学校の姿」を取り戻せるのかもしれない。
049 2017/6/19 北田暁大、解体研編著『社会にとって趣味とはなにか−文化社会学の方法規準−』2017/3/25 3640.pdf 評者は考える。たしかに、オタク、サブカルなどの趣味は、他者との差別化だけでなく、逆に紐帯としても機能している。実際、クラブ通いの友人を得た地方出身の若者の東京定着率が高いなどの効果が他の調査で明らかにされている。だが、教育においては、そのような連帯志向だけでなく、自己の確立(階級的な差別化とは異なる)という「個人化」と、「異質な他者との交流と共有」という「社会化」を追求する必要がある。そのとき、オタク、サブカルを含めた生徒たちの趣味を尊重しつつ、それが望ましい個人化と社会化の契機になるよう働きかけ、新しい価値の創造をめざしたいものである。
048 2017/5/15 小谷敏編『二十一世紀の若者論−あいまいな不安を生きる』2017/2/25 3630.pdf 評者は考える。教育は、生徒の自己決定能力を育成しようとする。そのとき、自己決定の余裕のない「困難な状況」もあるのだという社会的視点を持つ必要がある。オタク文化の現代的意義も認識する必要があるだろう。そのうえで、状況のせいにせず自己決定する若者を育てることによって、彼らの個人としての充実と、自己決定ができる余裕のある社会の支え手としての充実を目指すことこそ、教育の不変の役割といえよう。
047 2017/4/10 轡田竜蔵編『地方暮らしの幸福と若者』2017/2/22 3620.pdf 評者は考える。社会学のこのような立体的把握は、ややもすると政策の実現のために一面的になりがちな教育関係者にとって示唆に富むものである。しかし、現状変革をあまり考えない社会学に対して、教育は新しい価値の創造を目的とする活動である。ここで言う「地方中枢拠点都市圏」と「条件不利地域圏」の両方で、社会学のリアルな認識に習いながらも、「幸福につながる存在論的価値」を若者とともに新たに創り出す必要があるといえよう。
046 2017/3/13 前田拓也,秋谷直矩,朴沙羅,木下衆編『最強の社会調査入門』2016/7/27 3610.pdf 評者は考える。教師にとっては、教育実践をルポではなく、論文として仕上げようとすると困難なハードルが立ちはだかる。普遍性、客観性、根拠などが問われるからだ。だが、他方で、研究者に対しても、細分化された領域における目的や既存の方法に対しての批判が高まっている。量的調査などが正しい手続きで行われたとしても、方法の選択自体が妥当だったのか、さらには目的は意義のあるものなのかが問題にされる。既存の研究は全体的観点からの体系化が進んでおらず、変化に対応すべき教育現場の臨床とは遊離していることが多いのだ。その点でこの本の示唆は意義深い。教職大学院においても、そのような成果が求められると考えたい。
045 2017/2/13 西村大志,松浦雄介編『映画は社会学する』2016/7/27 3600.pdf 近年、社会学的思考や想像力に乏しい実証研究が増えていると同書は批判する。社会学の大きな目標は人間や社会の「リアル」に迫ることであり、バーチャルな世界の拡大ともあいまって、そのリアルは事実と等号では結べなくなったという。評者も同感である。我々を翻弄する「小説よりも奇なる事実」に対して、ストーリーという質の良い虚構がもつ「人間的真実」は、感動をもたらし、追求し続けたいという気持ちにさせる。このようにして、細分化された学問領域の隙間を埋めたとき、体系的理解が深まるのだろう。
044 2017/1/2 川崎賢一,浅野智彦編著『〈若者〉の溶解』2016/10/25 3590.pdf 現代青年文化は、厳しい現実に適応する最初の本格的な対応様式を築こうとしている。評者は考える。われわれはアイデンティティを自己同一性ととらえ、その確立を若者の自立にとっての不変の価値として教育活動を進めてきた。だが、若者が「重複型アイデンティティ」によって現実適応しようとしているとするならば、そのような自己同一性を押し付けられることは、考えてみれば残酷な話だ。価値の伝承と創造を担う教育だからこそ、実態誤認の安易な「若者論」に振り回されることなく、同書のような知見を取り入れたり、教育学を対抗させたりしながら、若者の自立支援の方策を見出さなければならない。
043 2016/12/5 電通若者研究部編『若者離れ−電通が考える未来のためのコミュニケーション術』2016/7/29 3580.pdf 評者の所属する青少年研究会では、この傾向を「みんなぼっち」と呼んでいる。本書では、サークルの持つWEの居心地の良さをそのままに保ちつつ、新たな社会とのつながりの形と、人とのほどよい距離感をIとして保てる形を両立したサークル用スマホアプリを開発したと言う。教育関係者としては、「みんなぼっち」の若者に対して、社会的視野を拡大させるための「ズレ愛」の方策を考える必要があろう。
042 2016/11/7 秋山千佳著『ルポ 保健室−子どもの貧困・虐待・性のリアル』2016/8/10 3570.pdf 評者は考える。一般の教諭にとっても、保健室でのこのような「自然な対応」は見習うべきところが多々ある。ただ、教室が保健室のようになればよいという話ではあるまい。もちろん、本書に登場する「保健室に入ろうとする生徒を追い返すベテラン教師」などは何とかしたい。しかし、より本質的には、「居場所を求める声なきSOS」に対して、保健室のほか、図書室などの「居場所」と、そこでの専門職の意義と連携の必要性を認識すべきということなのだろう。
041 2016/10/3 村尾泰弘著『家裁調査官は見た−家族のしがらみ』2016/7/14 3560.pdf 村尾氏のいうような深い人間関係を樹立するための展望と方法は、子どもに、若者に、親に、教師に対してどのように指し示すことができるのか。この時代において、「深い人間関係の樹立」自体、とんでもないアナクロにもみえる。しかし、人々が学びあい、支えあう社会の形成を教育の目的とするならば、その樹立こそ教育にとっての不可欠の「現代的課題」と考えるべきなのかもしれない。
040 2016/8/22 駒崎弘樹著『社会を変えたい人のためのソーシャルビジネス入門』2015/12/16 3550.pdf 本書が提唱する「新しい社会貢献」について、評者は次のように考える。このような手の届く範囲で社会貢献したいという若者の志を大切に受け止めたい。だが、もう一方で、過去の学生は「儲け主義はイヤ」という理由で教員や公務員を目指していたことを思い起こす(今の学生は安定のためだが)。今後は、職業全般が社会貢献につながるという実態と認識を広げていきたいものだ。
039 2016/7/18 井上俊・永井良和編『今どきコトバ事情−現代社会学単語帳』2016/1/30 3540.pdf グループ内でコミュ力不足と思われないよう努力する若者の姿はたしかに切ない。だが、若者や社会の現場においては、コミュ力を分解すれば「正体のある能力」として理解されるはずである。これを構造化したものがカリキュラムにほかならない。とかく批判される「ゆとり世代」についても、既存の学問体系に頼りすぎて、彼らが必要としているコミュ力に目が向いていなかったという教育側の責任もあるだろう。その上で、ある意味難しい「身内」とのコミュ力とは異なる、ある意味シンプルな「社会」の現場で必要なコミュ力に、生徒の目を向けさせることも考えたい。
038 2016/6/20 NPO法人育て上げネット『若年無業者白書2014-2015』2015/12 3530.pdf 同ネットへの来所者のなかには、旧帝大卒で一流企業社員の経歴をもつ若年無業者も多いと聞く。評者は考える。過去の学校歴社会の「制約」のままでは、生徒の生涯にわたる個人的、社会的充実を保証する教育は実現できない。今日の個人化、流動化社会における、職場・家庭・地域での自己発揮のための基礎づくりこそ、学校教育の新たな役割というべきであろう。
037 2016/5/16 藤村正之・浅野智彦・羽渕一代編『現代若者の幸福−不安感社会を生きる』2016年3月 3520.pdf 教育界でよく取り沙汰される若者の道徳意識の低下、友人関係の希薄化などの言説について、この本はデータに基づいて、正反対の検証結果を提示しており、傾聴に値する。それでもなお、評者は、それらの一見「好ましい傾向」が、じつは「不安感社会」における防衛的態度の表れになっており、生涯にわたって仕事、私生活、地域・社会において能動的に活動するためのものにつながっていないと考える。教育においては、社会形成者の育成に向けて、タイプ別の深堀りによる正しい生徒理解を進める必要があるだろう。
036 2016/4/11 『資質・能力〔理論編〕』 3510.pdf 「社会化と個性的発達と学問の系統性という三つの教育理念に基づく目標の融合」など、たとえアクティブラーニングにおいても、目標、内容、方法、評価という教育の根本を貫くための理論が示されている。評者は、個人の充実とともに、家庭、職業、地域生活を通して社会形成者としても充実した人生を送るための必要能力を、達成目標として理論化しようとする本書の存在価値は大きいと考える。
035 2016/3/14 『小学校高学年女子の指導』 3500.pdf 赤坂氏は、「全員をひいきする」「グループ全体を視野に入れる」「感情を理解する」よう教師に提案し、いじめ、仲間はずし、グループ対立、集団反抗などへの予防策や対応術を具体的に解説する。評者は次のように考える。今の同一化集団からたとえいっときは孤立したとしても、一人で調べ、考えるような「個」を育てる教育の役割が重要であろう。そのためには、異年齢、異世代、異質の者との交流による「居場所」において、自信と共感能力を育てることによって、社会に開かれた視野の拡大と自立を促すことが必要と考える。
034 2016/2/8 『甦る教室』 3490.pdf 一年間成長を続けていけば、子どもは抽象的な難しいテーマにも答えられるようになり、それが学級でも認められることによって、個が強い集団を作り、「公=大人」を目指せると言う。個人の成長に焦点を当て、目標を立てさせ、自問自答させ、「強い言葉」を持たせ、「公」の価値を伝えようとする氏の営みは、社会的に大きな価値をもつと言えよう。
033 2016/1/4 『大学の質保証とは何か』 3480.pdf 本書巻末の座談会では、教職員がこのような大学改革に対して、研究時間が奪われるなどの「被害者意識」に染まらずに協力するよう求めている。評者は次のように感じている。研究はできるけど、教育はできない教員など、実際にいるのか。研究も教育もできるか、どちらもできないかのどちらかなのではないか。繁忙感のみに終わる空しい時間を削ぎ落として、研究と教育の両方の質の向上に時間をかけるようにすることが必要だ。
032 2015/12/7 『どんな高校生が大学、社会で成長するのか!』 3470.pdf 溝上氏は、クラスター分析により、勉学、勉学そこそこ、部活動、交友通信、読書マンガ傾向、ゲーム傾向、行事不参加の7タイプを導き出す。勉学タイプは、8割が部活動と両立しており、「よく学び、将来に向けて頑張り、自己成長を実感している」タイプとされる。評者は、高校生から大学生への「移行」において、部活動の積極性を超えたレベルでの自己開発と社会的関与に関する態度変容が求められるのではないかと思う。
031 2015/11/2 『いつまでも会社があると思うなよ!』 3460.pdf 川島氏が代表を務めるNPOゴヂカラ・ニッポンにおいては、苦手や弱点ではなく、得意なことに注目する。そして、社会で役に立つ経験を与えて「貢献心」を育むことによって、子どもの自主性と社会性を育てようとしている。評者は考える。若者の帰属意識の不足などを批判するだけでは、教育は始まらない。仕事だけでなく、私生活、社会活動のそれぞれの場で、幸せな生涯を送るための基礎・基本を、個人差に応じて身につけさせることこそ、生涯学習時代の学校教育の役割といえよう。
030 2015/10/5 『一〇三歳になってわかったこと〜人生は一人でも面白い』 3450.pdf 篠田氏の「一人で自由に生きる」という指針は、社会化重視の教育の価値観と一線を画している。ほかに頼らずに自分の目で見る、人生を歳で決めたことはない、規則正しい毎日から自分を解放する、などの含蓄に富む言葉があふれている。とりわけ、「自由と個性を尊重するから孤独」かつ「コミュニケーションが大切」、孤立ではなく、人と交わらないのでもなく、混じらない、よりかからないという考え方は、仲間と群れたがる若者にとっても組織の一員としての教員にとっても、個人化社会を充実して生きていくための根源的な示唆を与えてくれよう。
029 2015/9/7 『対話の害』 3430.pdf 評者は、次のように考える。対話はソクラテス以来の教育の原点である。しかし、それは「やらせ」による賑やかな見せ物としてではなく、生徒間協働を進め、ものの見方、考え方の枠組みを拡大させるためにある。そこでは、生徒の学習と省察を尊重することが重要になる。また、ワークショップのなかにも、個人のカード書き作業のなかに沈思黙考の自己内対話機能を見出される。目標と進行、評価基準に基づいて、あの手この手の教育方法を組み合わせることこそ必要なのだろう。
028 2015/7/27 『授業づくりエンタテインメント! ―メディアの手法を活かした15の冒険』 3420.pdf 精選した内容をびっしりと詰め込んで、@導入、A展開、Bまとめで進行させる。これに対して、藤川氏は、@予告、Aライブ、B余韻で授業を構成するよう勧める。そして、教師がすべてを背負い込むのでなく、子どもたちを没入させるエンタテインメントを活かした仕組みをつくり、余裕をもって日々の授業に取り組めるようにしようという。ICTやSNSを活用することによって、教師は楽になり、魂が解放されるというのだ。
027 2015/6/22 『教育は何をなすべきか−能力・職業・市民』 3410.pdf 評者は次のように考える。キャリア教育も「地域における多様な担い手の育成」の一環である。ただし、職業の場だけでなく、家庭、地域での個人の生涯の充実という広い視野で行うことと、受験勉強特有の個人完結型の競争から、社会開放型の「学び合い支え合い」へと転換させることが必要なのであろう。キャリア教育を能動的形成者への「パスポート」にしたい。
026 2015/5/25 『就活と日本社会―平等幻想を超えて』 3400.pdf 常見氏は、スカウト型の求人サイトや、カウンセリングによって採用可能性の高い企業を学生に紹介する人材ビジネス企業に期待を寄せる。その文脈から、「競争が平等ではないことに気づき、弱者は弱者なりの生存戦略を考えよう」と提唱する。そして、「偽装された自由や平等は暴力であり、民衆を希望の奴隷にする」と締めくくる。評者は考える。若者に希望を与えない教育など存立しえない。しかし、不平等の現実のなかで、多くの若者が苦しんでいる。われわれは有名企業への就職願望に代表されるような「希望」の質自体を考え直す必要があるのではないか。
025 2015/4/20 『育休世代のジレンマー女性活用はなぜ失敗するのか』 3390.pdf 同類婚といって、自分と同等以上の時間のない相手を選ぶが、海外出張に飛び回る夫をずるいと思ってしまう。そもそも就活中も、やりがい重視のため、復帰に不都合な職場を選んでしまっている。中野氏は、「既存の構造を疑い、新しい価値を生み出し、社会を変えていく人材を育てる」よう提唱する。評者は次のように考える。現実社会において重要なのは、自己実現を自己内で完結させずに、他者と自己実現を互いに支え合うということである。
024 2015/3/16 『女子力男子−女子力を身につけた男子が新しい市場を創り出す』 3340.pdf 氏は、「自己満足/他者の目を意識」「ライフスタイル/美」の2軸による4象限で女子力男子を分類する。とくに「ライフスタイル×自己満足」については、女子会に溶け込んでトークできるなどの男子たちで、企業にとって市場拡大の可能性が大きいという。評者は、彼らの将来の社会生活の充実のため、既存の価値を伝承するとともに、セクシャリティや職業に関する望ましい価値を、今の若者とともに創造する必要があると考える。
023 2015/2/9 『現代文化を学ぶ人のために全訂新版』 3330.pdf 「何が疑似か」という基準が立てにくくなった今日では、見せかけが「どういう条件のもとで」通用するのかが問題である。「好みの物語を編集できる」としても、それをそのまま現実化できるわけではない。「好みの物語を勝手に編集できる」かのように錯覚させる個人化社会において、自己と社会とをマッチングさせ、自己の人生の物語を適切に編み出せるよう支援する教育は、たやすくはないが、意義深いものと評者は考える。
022 2015/1/5 『社会を結びなおす−教育・仕事・家族の連携へ』 3320.pdf 40人教室に、塾で3学年も先のことを学んでいる者と、家族の困窮や不和に苦しんで学習に向かえない者がおり、この教育格差と、家庭からの期待や要求の強まりの中で、教師は疲弊しているという。筆者は、次のとおり新しい社会モデルを提示する。「組織の一員としての身分を与えられる」メンバーシップ型から、「一定の熟練や専門性に基づいて遂行される、ひとまとまりの行為」としてのジョブ型正社員への移行。将来に向かって生きていくための「中間的就労」などを支援する「アクティベーション」。そして、学校の役割を、「保護者や地域に開かれた学校」、「家族へのケアの窓口」と位置づける。
021 2014/11/17 『つながりを煽られる子どもたち』 3310.pdf 「人間関係の常時接続」により、リアルとネットが地続きの世界になった。その自由さが満足感を上昇させるとともに、「安定した基盤がないため不安感も募る」という。日本の女子中高生は、中年サラリーマンよりも日常的に疲れやストレスを感じている。土井氏は、快楽ではなく不安からのスマホ依存、イツメン(いつも一緒にいるメンバー)同士のしがらみによる親友を作れない状況、承認願望(「いいね!」を押してもらうこと)の肥大化などを指摘する。その社会的背景としては、2001年の小泉内閣の新自由主義を特筆する。不確実性が可能性ではなくリスクとしてとらえられ、新しい出会いよりも目先の確実な人間関係を求めるようになったというのだ。終章では、「学校や地域の『みんなで』という場の倫理が、個の倫理を圧殺しかねない」と指摘する。授業は一人の世界に埋没させて、自己内対話を行わせる時間ではないか。それは、彼らをつながり依存から解放させて自立させる貴重な時間になると考える。「みんな」への負の同調圧力を助長するようなことがあってはならない。
020 2014/10/27 『不透明社会の中の若者たち』 3300.pdf 片桐氏は、1987年から5年おきに大学生調査を行ってきた。本書は、2012年調査結果(関西4大学文系学生652人)の分析をおもな内容としている。性別役割については、家事育児は女性のほうが向いている、「公平に分担する」より「夫もできるだけ協力」、出産したら仕事をやめる、男らしい・女らしいと言われたら嬉しいなど、保守的傾向が見られた。親子関係については、親のようになりたい、子どものままでいたいなど、「反抗期なき若者」という傾向が見られた。社会関心については、戦争への不安が減少し、電車やバスで席を譲る、地域行事に参加しているなどが増えたが、社会運動への参加意欲は減った。政治意識については、福祉社会よりも、競争社会、統制社会を理想の社会とする学生が増えた。生活意識としては、生活満足度が向上し、生活目標としては、この十年で「豊かな生活」が減り、「なごやかな毎日」「自由に楽しく」が増えた。職業面では、出世意欲が減退し、女子は「気楽な地位にいたい」、男子は「遊んで暮らしたい」が増えた。氏はこれを「不透明社会の中のゆとり世代の生き方選択」ととらえる。「学校で友達といる今が楽しい」だけでなく、予測がつきにくい社会の中にあっても自己の位置決めをして卒業していけるよう支援する必要があると評者は考える。
019 2014/9/15 『女子高生の裏社会』 3280.pdf 本書は、親からの虐待や性被害などの心の傷を抱え、「JKお散歩」などの裏社会で働く少女の取材集である。児童相談所や警察については、親に通報されて元の木阿弥になる経験をしているため敬遠がちである。「普通の少女」や「ルールに従順なタイプ」などの「扱いやすいタイプ」も登場する。客の性的欲望への対応が苦痛なのは、すべての少女に共通しているが、「わかってくれる大人がいない」という「関係性の貧困」のなかで、このような仕事にもプライドを持とうとする。店長は、少女の話を聞き、励まし、ほめて叱り、居心地の良さを与える。リーダーになりそうな少女については、過ごしやすいルールや客の喜ぶオプションを考えさせて、やりがいを持たせる。学習支援や貯金代行も行う。「お前の夢はなんだ」などというワークショップも行なう。高校卒業後も、系列の風俗店で働けるよう面倒を見る。これらの「居場所」に対抗して、自己を社会に位置付けることのできる自立のための「居場所」を提供する意義は大きい。それは、卒業後の生涯の充実をも視野に入れたものでなければならない。
018 2014/8/18 『反転授業』 3270.pdf 山内氏らは、「従来の授業相当分の学習をオンラインで授業前に行うことで、知識の定着や応用力の育成を重視した対面授業の設計が可能になる」と主張する。本書では、次の通りそのメリットを挙げている。生徒のなじんでいる言語(メディア)で語りかけられる。(生徒会等)多忙な生徒の時間の自己管理を助ける。自己の理解度や学力に応じて進行管理できる。つまずいている生徒を助ける。生徒と教師及び生徒間の関与を増やせる。教師の生徒理解を深める。学習の個別化をもたらす。教室の透明性を高め、保護者自身の学習や学校への態度が変わる。評者は、次のことを再認識すべきと考える。生徒「みんな」が同様な学習成果をあげるということはありえない。学習は本質的に「個人的事象」であるのだから。能力別指導が、ICT活用により個人別指導にまで下りてきて、その上で生徒間協働が図られる条件が整いつつあると感じる。
017 2014/7/21 『活躍する組織人の探究』 3260.pdf 溝上氏は、職業生活や社会生活でも必要な「汎用的技能」を学士力の一環として定めた「学士課程答申」(2008年中教審答申)や米国の国家レポート『学習への関与』(1984年)を引き、「学生の学びと成長の実態や構造」、さらにはトランジションとの関係を明らかにする必要を説く。単に就職できたかどうかではなく、就職後の適応状況を見なければならないと言うのである。調査結果からは、とくに大学1・2年生時におけるキャリア意識及び自主学習や主体的な学修態度が組織への適応に結びつくことが明らかになった。クラブ・サークル活動やアルバイトによる「豊かな人間関係」については、「良好な友達づきあい」以上の質が求められ、異質な他者からの影響が大きいことが示唆された。なお、「勉学第一」とした者は良い結果にならなかった。
016 2014/6/16 『世界一やさしい精神科の本』 3250.pdf 斎藤氏は、「ナンバーワンよりオンリーワン」や「みんな違ってみんないい」という言葉に偽善性を感じ、「多様性」とは、人の心の限界や不自由さという壁があってこそ生まれるものと主張する。そして、望まれる多様性とは反対に、スクールカースト(生徒間身分制)の格差決定要因が「コミュニケーション・スキル」に一本化されていると指摘する。笑いをとるなどの対人操作能力が高いヤンキーが最上層に位置づき、ほかのオタクなどの能力は評価されないというのだ。こういう生徒間の熾烈な生存競争の中で、キャラを演じながらも、カーストの価値観に染まりすぎずに自分を守ることが大切だと助言する。ヤンキー的な生徒の能動性だけを評価するのではなく、受動的な生徒に対しても、多様な評価基準をもって接することが望まれよう。
015 2014/5/19 『オタク的想像力のリミット』 3240.pdf クールジャパンとしてオタクが脚光を浴びるなか、著者は、海外の「ゲイシャ・フジヤマ・シンカンセン」と同列のステレオタイプの眼差しを超えた理解を図ろうとする。そのため、コスプレ、鉄道オタク、萌え、格闘ゲーム、腐女子などについて、社会学の手法と知見で解説する。いずれも、オタク文化に、近代を超えるポストモダンの可能性を見いだそうとしている。われわれには、今の時代を理解しつつも、どう「大きな物語」としての歴史学等を教えるかが問われているといえよう。
014 2014/4/21 『ヤンキー化する日本』 3230.pdf ヤンキーは、今や、学校を荒らす不良ではない。青年期精神病理学専門の斎藤氏は、今のヤンキーについて、「高尚な芸術」に対するバッドセンス、「気合い」や「絆」といった理念のもと、家族や仲間を大切にするという倫理観が融合した普遍的な文化であると述べる。コミュニケーションも、お笑い芸人のように達者で、なぜか自信をもって生きている。氏は、同時に、公共概念とセットで「個人主義」を再インストールする必要を指摘する。教育においては、公共を担う者の育成のために、これらの「科学的な見方・考え方」や自他との対話の方法論を彼らに教える役割がある。そのことによって、彼らは、より根拠ある自信を持つことができるといえよう。
013 2014/3/17 『NHK中学生・高校生の生活と意識調査2012−失われた20年が生んだ“幸せ”な十代』 3210.pdf この調査は、「荒れる学校」が社会問題になった82年から、87年、92年、02年と行われてきた。「とても幸せだ」(中学生55%、高校生42%)とする生徒が、この10年で過去最高の増加率を示した。古市氏は、「スクールカースト」の下位にあっても「下は下で友だちもいるし、そこそこ満足している」と社会学の立場から分析する。しかし、教育学の立場からは、このような「幸せ」に対峙して、「支持的風土の幸せ」を示さなければならない。また、「いい子であるだけでは幸せにはなれない」社会に出ていき、幸せな生涯を過ごすためには、社会のなかで自己発揮するための自我の確立と社会での位置決めを支援する必要がある。80年代に「荒れる学校」で育った教師は、小さくまとまらせずに育てることを考えなければならない。
012 2014/2/10 『「若者」とは誰か」 3200.pdf 教育は若者の「自分探しの旅」を支援(1996年中教審)し、彼らのアイデンティティ(自己同一性)の確立をめざす。しかし、浅野氏は、自らの青少年研究会の調査データ等に基づき、状況に応じて変化する「多元的自己」の拡大の事実を示す。その上で、これを従来の知見のように問題視するのではなく、多元的自己であっても、より生きやすい生き方や社会のために生かすことこそ重要という。「ゆとり教育」でいわれる「個性」については、学力低下批判の嵐に出会い、成績のよい子は「能力を徹底的に磨くこと」、よくない子は「成績競争から降りること」の二重の意味を持つようになったと浅野氏は指摘する。その上で、「自己の多元化は、一つの個性への過度の依存によるリスクを低減させる」と、両方の若者に手を差し伸べようとする。教育においては、生徒の自己内対話を深め、「自分とは何か」の追究を支援すべきと考える。
011 2013/12/23 『能力開発の実践ガイド』 3180.pdf 本書は、企業内教育の立場から、教育を、「人々の暮らしを支え、発展させるのに欠かせない活動」であり、「温かな人間観を土台にして成り立つ」能力開発の活動としてとらえる。学校教育の立場からは、とくに「暗黙知の整理」と「クドバス(職業能力の構造に基づくカリキュラム開発手法)による能力構造化」の2点が注目される。暗黙知については、「環境=場の概念」「最終目標としての成果=到達目標概念」「行為(運動)=空間上の概念」「構成(作業計画)=手段と時間の概念」のもとに、技能分析表を作成する具体的方法が示される。クドバスについては、職業人としての到達像に基づく能力を「上から落ちてくる」のではなく「下から帰納的に積み上げる」方法で構造化し、具体的な教育計画及び達成度評価の基準を作成する方法が示される。「ルーブリック」など、あらめて生徒の能力達成に各教育現場で責任を果たそうとする動きの中で、それに先行する企業内教育のこのような方法論は示唆に富む。
010 2013/11/18 『ワークショップデザイン論―創ることで学ぶ』 3160.pdf あくまでも教育の視点から、一見「遊び」に見えるような活動も許容されるワークショップについて、活動目標と学習目標を設定し、これを達成するための「P企画‐D運営‐C評価」の各段階の展開について、既存の理論を援用して実践的に解説する。ここで、相対的評価から診断的評価への転換が重視され、新しい評価手法が紹介される。とくに、「予期されていなかった学習」を見落とさず、次のA改善に反映させる、いわばPDCAサイクルの実現が目指される。このとき、一般的な論では、AからPに循環するのであるが、ワークショップではもっと実践的なモデルが想定されている。適切な評価による修正が、分析、設計、開発、実施のすべてのプロセスに対して迅速に、直接的に行われるのである。
009 2013/10/28 『世界はひとつの教室−学び×テクノロジーが起こすイノベーション』 3150.pdf カーン氏は、「ほどほどの知識がある、聞き分けがよくて標準的な市民、労働者をつくりだす」プロイセン型モデルの学校に対して、「家では講義、学校では宿題」という「反転」モデルを提示する。個人のペースに合わせて、百%理解してから次の単元に進む。落ちこぼれはない。MITに入学したカーン氏は、まわりのみんなの頭の良さにおじけづく。しかし、「途方もない時間の無駄」である大教室の講義を受動的に学ぶ学生を見て、そういう授業をサボり、本当に役立つ授業を受けるなどの「能動的学習」をすることによって、結局、彼らの2倍近い講座を取得することができたという。過去の遠隔教育は、カーン氏が批判するような受動的な一方向授業の象徴であった。しかし、ネットのもつ自己選択性、進度自由性、双方向性は、これを逆転させようとしている。
008 2013/9/23 『現代エスノグラフィー−新しいフィールドワークの理論と実践』 3140.pdf エスノグラフィーは、一般に民族誌と訳される。本書では、調査者が組織、コミュニティなどの「フィールド」に入り込み、人々の生活や活動に参加して観察し、記述する方法としてとらえる。また、従来の「科学的」な参与観察だけでなく、能動的に協働して、解釈を実践し、多元的な語りを得るインタビュー、自分の所属集団の内側からの観察、自分の問題を自覚した当事者とピアグループによる問題への対処、対話と相互行為の積み重ねによるライフストーリー構築など、新しいアプローチについても論考する。「生きる力の育成」などの教育の目的を考えると、その多様性、動態性から、学習と指導の両側面において、エスノグラフィーの手法は有効であると考えられる。
007 2013/9/2 『ガリ勉じゃなかった人はなぜ高学歴・高収入で異性にもてるのか』 3130.pdf 筆者の明石氏は橋下大阪市長の言葉、「僕は学校で教わった勉強なんて一つもない」を引き、国立青少年教育振興機構「子どもの体験活動の実態に関する調査研究」(二〇一〇年)の五千人の成人を対象としたバックデータを使って、体験活動の意義と必要性、そこで身に付く力、必要な体験活動の内容などについて論ずる。学校教育では、いったい何ができるのか。平成二〇年中央教育審議会答申のいう体験活動の進め方において、とくに自己との対話や思考の外在化(文章化)などの意図的・計画的促進については、むしろ、学校教育の出番ではないかと評者は考える。しかし、明石氏は終章で「成功の秘訣はナナメの関係」とわれわれに追い撃ちをかける。文科省によれば、これにより、学校が地域社会と協同し、学校内外で子どもが多くの大人と接する機会を増やすことを目指している。親や教師、子ども同士は含まれない。教師が子どもとナナメの関係であろうとしたら、それは職務逸脱に近い行為だ。地域人材の活用などの方策が求められるのは当然であるが、それ以上に、「純粋な学校内教育」において、教師が「タテの関係」のなかに「ナナメの関係」による教育力を取り入れられないものか。
006 2013/7/15 『日本文化の論点』 3110.pdf 国家的にも「クールジャパン」として、ACG(アニメ、コミック、ゲーム)の輸出が重視される今日、生徒にとっての「夜の世界」の存在をわれわれも認識する必要があることは確かだろう。後半では、「西洋近代のものとは異なった原理で駆動する新しい世界」の象徴として、AKB48を取り上げる。劇場公演、握手会、選抜総選挙、じゃんけん大会といったシステムの意味を吟味し、資本主義によって人間の想像力が画一化するどころか、欲望が多様化し、変化したと評価する。しかし、生徒の想像力、創造力は、本当に育ってきたのか。教育は、従来の文化を伝承するだけでなく、新たな文化を創出する営みでもある。サブカルチャーは、「サブ」という名のとおり、現在の支配的文化に対するたんなる「下位の文化」にとどまる恐れもある。望ましい文化創出のためには、連帯や共同などの教育的価値を伝えるとともに、社会の現状に問題意識を持ち、これに対抗する文化(カウンターカルチャー)の担い手を育成する必要があるのではないか。
005 2013/7/1 『「東京」に出る若者たち−仕事・社会関係・地域間格差』 3100.pdf 東北地方の若者の東京圏への移動に関する調査結果などをもとに、収入面では、「恵まれた環境」に生まれた者が「恵まれた立場」を手に入れることができるとする。新卒採用時に県の出身者枠を設けている企業の寮に入れば、同じ高校出身の先輩が何人もいる。ローカル・トラック(水路付け)により移動先が集中している東京圏と宮城県以外で就職したとき、孤立した状況に置かれると指摘する。進路指導にあたって、「個性化の時代なのだから、生徒一人一人が各地の就職先、進学先に自己選択で飛び立っていくことが望ましい」とは言えないのかもしれない。東京圏の大学に進学した者については、出身地で形成した人間関係の減少を、趣味ネットワークの拡大により補うという特徴も興味深い。「高い能力を要求する職業も、高度な教育の機会も、大都市に集中」している現状に対して、地域間格差の是正と教育機会均等のあり方を提唱する本書の意義は高い。
004 2013/6/3 『つまずかない大学選びのルール』 3090.pdf 「入学してから就職後3年間までストレートに進めるのは全体の約3割」という状況のなか、「就職に強い大学→実際に就職できるのは学生の50%」などと注意を喚起する。「賢い受験生」として、社会に目が開かれた受験にしなければ、問題の本質的解決はできないという認識なのだろう。氏はパンフレットやWEBサイトで、大学のコンセプトだけでなく、これを達成するための方法と効果の証拠が提示されているかと問いかける。多忙な著名人教員では受講回数も制限されてしまうので、それより、一般の教員が教授法等を改善する訓練(FD)に取り組んでいるかと言う。氏は文科省高等教育局専門調査員、中央教育審議会高大接続特別部会臨時委員に抜擢されており、文科省が大学の望ましい淘汰に本気になっていることの表れといえる。進路指導も、大学の実態を内部にまで立ち入って把握しないといけない。
003 2013/5/6 『震災からの教育復興−岩手県宮古市の記録』 3080.pdf 本書は、「教育復興」の観点から、@PISA等の国際順位の低下に敏感に反応した結果としての「ゆとりと充実」路線から「確かな学力」路線への軌道修正、A教育指導や学校運営の効率性を高めることに視点を置いた学校の適性配置政策の推進の二点について再検討を促す。「学習のケア」だけでなく、「心のケア」「生活のケア」を、そして学校を地域コミュニティの文化拠点として考える観点を効率化の観点と並立的に捉え、前者に、遊びや住民の満足度を組み込んだ発想を見出している。これを読んで、学校教育がそもそも児童・生徒一人一人の幸福追求と生涯学習の基礎づくりのためにあり、また、学校施設が住民の生涯学習の拠点の一つとして存在していることを再確認することができた。
002 2013/4/1 『僕たちの前途』 3070.pdf 社会学では、個人の自由な選択に責任が帰せられる個人化のマイナス面を強調する。しかし、若手社会学者である古市は、「どうせお金を稼ぐなら、好きな人と好きなことをやっていたい」、「社会を変えたいなんてだいそれた気持ちはない」と言う。社会に猛烈に立ち向かわないことによって、彼は「個人化の罠」からくぐり抜けてきたといえる。さて、教育においては、「自由格差社会」のなか、どのように若者の労働観を育てるのか。「猛烈に自己決定で生きよ」というのか、それとも「自分らしさを大切にするためには、くぐり抜けよ」というのか。評者は、理想追求の教育においては、そのどちらでもなく、青少年の個人化のプラスの側面を伸ばしつつ、私生活を大切にしながら、職場や地域では、他者と切磋琢磨し、支え合う人材を育成することが可能と考える。
001 2013/3/11 『ギャルと不思議ちゃん論−女の子たちの三十年戦争』 3050.pdf 女子特有の対立構造は、クラスの中にも見られよう。DeSeCoのいう「異質な集団で交流する」というキー・コンピンテンシーの育成も簡単にはいかない。だが、終章において、きゃりーぱみゅぱみゅの分析に至るとき、この対立構造の鮮明さに、やや陰りが生ずる。多元的な自己を操って生きる若者たち」にとって、多数派の渋谷系に対する少数派としての彼女の原宿系ファッションを、交友に合わせて選択することは「不思議ではない」。現代青年のこのような「多元的自己」は、「存在確認」というより「存在戦略」ととらえられる。だとすれば、われわれも、これを上手に誘導して、彼らが同化圧力を乗り越え、異質の他者と交流して、より良い「存在確認」ができるよう、戦略を立て直すべきといえよう。